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■ディーゼル車に乗らない、売らない、買わないことを推進
1999(平成11)年8月27日、東京都はディーゼル車の東京都内での不使用や不売買などを盛り込んだ“ディーゼル車NO作戦”を開始すると発表。当時は大気汚染が社会問題となっており、その主因がディーゼル車から排出される黒煙に起因するとされていたのです。
当時の都知事・石原慎太郎知事は会見で、排気ガスから抽出されたと思われる黒い粒子が詰まったペットボトルを見せて“ディーゼル車を東京から駆逐する”と宣言し、社会に大きな衝撃を与えました。
●2000年以前のディーゼル車はなぜ黒煙を吐いていたのか
2000年以前のディーゼル車、特に古いトラックは、発進や加速で排気管からモクモクと黒煙を排出し、さらにガラガラと燃焼音がうるさく、周囲からは嫌われる存在でした。しかし、ディーゼル車は耐久性に優れ、燃費が良い、軽油が安いことから、特に長距離を走るトラックのほとんどがディーゼル車でした。
ガソリンエンジンは、空気と燃料をあらかじめ混合して、よく混ざった混合気を点火プラグの火花で燃焼させる「予混合燃焼」です。一方のディーゼルエンジンは、ピストンで空気を圧縮して高温になった空気中に高圧の軽油を噴射し、蒸発した軽油が自着火する「圧縮自着火方式」です。そのため、ディーゼルはシリンダー内の混合気の濃淡が発生し、濃い部分で黒煙(酸素不足で発生する煤)が発生しやすくなります。
2000年以前は、ディーゼル車は環境保護の観点からは完全に悪者でした。
●ディーゼルは悪というイメージを定着させた“ディーゼル車NO作戦”
1999年のこの日、東京都は大気汚染の発生源とされていたディーゼル車について、乗らない、売らない、買わないという施策を盛り込んだ“ディーゼル車NO作戦”を開始すると発表。石原都知事は、排気ガスから排出されたと思われる黒い粒子が詰まったペットボトルを見せて“ディーゼル車を東京から駆逐する”と宣言しました。
石原知事の見せた黒いペットボトルが、多くの人に衝撃を与え、ディーゼル車のイメージの悪化に拍車をかけたのです。
実際の規制は2003年から行われ、基準を満たさないディーゼル車は都内の通行ができなくなりました。それに連動するように、政府は2009年から当時、世界で最も厳しい「ポスト新長期規制」を施行しました。
このような逆風の中、多くのメーカーは、技術革新によってポスト新長期対応のディーゼル車の開発に邁進しました。
●排ガスをきれいにした3つの革新技術
2000年以降に、ディーゼル車の排ガスを劇的に改善したのは、過給技術とコモンレール噴射システム、後処理(触媒)技術です。
・過給技術
ディーゼルエンジンの黒煙を抑えるには、新規の空気量を増やす過給技術が有効。ターボなどの過給によって吸入空気を増やすことで、黒煙発生の原因となる局所的な濃い混合気の領域を解消することができました。
・コモンレール噴射システム
1990年代後半に実用化されたコモンレール噴射システムによって、燃料噴射の噴射量や圧力、噴射時期、噴射回数を自在に制御できるようになりました。燃料噴射のパターンを運転条件によって最適化することで、排出ガスと燃焼音を同時に低減できるようになったのです。
・後処理による排出ガス低減
ディーゼルエンジンは、ガソリンエンジンで使われる三元触媒が使えず、希薄燃焼下でNOxを下げるリーンNOx触媒が必要。またPMについては、DPF(ディーゼルパーテュレート・フィルター)で浄化します。
これらの技術によって、2008年に日産自動車「エクストレイル」が始めてポスト新長期規制に適合、2010年には三菱自動車「パジェロ」、その後マツダ「CX-5」と、ポスト新長期規制をクリアしたディーゼル車が続々と登場しました。
2010年頃は、ポスト新長期をクリアしたクリーンディーゼル車が登場してディーゼル元年と呼ばれ、ディーゼル車が増えることが予想されました。一方で、安価なガソリン車の燃費も大きく改善されたことから、ディーゼル車のシェアは期待通りには伸びませんでした。
さらに最近になって、カーボンニュートラルへの対応から、電動化技術と組み合わせにくいディーゼル車は敬遠される傾向にあります。ディーゼル車の厳しい立ち位置ですが、絶えない技術革新とともに、これからはどうなっていくのでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)