エンジン屋の夢「可変圧縮比」日産VCターボエンジンの量産ができたのは、横浜工場あってのことだった

■いにしえからの夢の可変圧縮比を実現したのは生産技術だった

燃料を燃やして空気を膨張させた力を動力に換えようとした初期のエンジンの原型では、空気を圧縮させることなく燃焼させていました。水汲み用などに考えられていたもので、膨張した空気を排気することで、残った空気が冷めて収縮して動く力を動力としたようです。

ホイヘンスの火薬機関
ホイヘンスの火薬機関

シリンダ内のピストンの動きを動力に換えた世界最初の人は誰か? 各地で色んな時代にそれはあったと思われますが、記録に残っているものでは1680年、オランダのホイヘンス(Huygens)さんが、火薬を使って動力を発生する案を発表したというのが最も古いとされているようです。

Aがシリンダ、Bがピストン、Hが火薬燃焼器、Cが排気の逆止弁です。図のようなピストンの位置でHで火薬を燃焼させると、Aの中の空気が高圧にならずに高温となってCから排出されます。それを放置すると冷却されAの中の空気は減圧となり、ピストンは大気圧によって下がり動力が発生します。

この考えをベースに色んな試作が行われたものの、実用には至らなかったようです。

●圧縮しなかったけれど売れたルノワールのガスエンジン

圧縮工程がなかったルノワールのガスエンジン
圧縮工程がなかったルノワールのガスエンジン

実際に販売された1860年のフランス、ルノワールのガス内燃機関は、圧縮することなく燃料に点火していたため、その熱効率は4%程度と非常に燃費効率の悪い内燃機関だったそうです。

しかしその後に、シリンダー内で燃焼させる空気を圧縮することで、劇的に効率が上がることが提案され、以降の内燃機関には圧縮工程を用いたものが主流に研究開発されることとなります。

しかし、ガソリンエンジンでは、圧縮する割合=圧縮比を上げていくと、点火と違うタイミングで燃料に火が点いてしまうノッキング(異常燃焼)という現象が起きてしまい、最悪はエンジンを壊してしまうことにもなりかねません。

さらに、自動車に搭載されるエンジンは、加速、定速など、走行状況によって要求される負荷が変わってきます。圧縮比を高負荷時に合わせて設計すると、低負荷時の効率が必ずしも良くないことになってしまうのです。

こういった背景から、自動車用ガソリンエンジンにとって、負荷に応じた圧縮比を変えることができる、可変圧縮比エンジンは夢のエンジンとされてきました。

リカルドの可変圧縮研究用エンジン
リカルドの可変圧縮研究用エンジン

●英国のリカルドが可変圧縮エンジンを開発

なお、可変圧縮比エンジンは、1919年にイギリスの内燃機関研究者、リカルドによって実現していますが、これは圧縮比と燃料(オクタン価)の関係性をデータとするための研究用エンジンで、動力として実用されたものではなかったようです。

その後、複雑な機構で圧縮比を可変する技術よりも、ガソリンのオクタン価によってノッキングをコントロールすることが、内燃機関の進化のトレンドとなってしまうのです。

●日産の横浜工場で量産可変圧縮比エンジンが現実に

そんなエンジン屋さんの夢である、可変圧縮比エンジンの量産を現実のものとした日産VCターボエンジンですが、そのアイデアは30年近く前から日産社内にあったと言います。

しかし、自動車メーカーが作る製品には、量産できること、安定した性能や精度、耐久性などが求められます。わずかな匠のみが組み立てることができるGT-Rのエンジンと同じでは、数が足りないわけです。

それを実現させたのが、日産自動車横浜工場なのです。

横浜工場は、日産自動車の設立年である1933年の2年後である1935年に、日本初の自動車一貫生産工場として稼働開始します。一貫生産とは、自動車の部品を作って組み立てる事ができる工場だったわけですが、1965年にはざま工場が完成したことに伴い、エンジンやサスペンションなどのユニット生産の専門工場となります。

この頃から、日産の先進的、専門的な研究を含んだ製造ができる工場へと特徴を伸ばしていき、現行GT-R用VR38エンジンや、BEVやe-POWER用の駆動用モーターなども生産する工場となっていったのです。ちなみに、リーフのモーターは横浜生まれの横浜育ちなんだとか。

そうして、変化と成長を遂げ、歴史を重ねてきた横浜工場が、2023年7月19日にエンジン生産累計が4000万基を突破したと発表されました

横浜工場と言えば、いい意味でのキワモノを作れる工場へとなっていったのですが、おかげで可変圧縮比VCターボエンジンが作れるようになったとも言えるのでしょう。特殊なものを作り上げて、それが一般化していけば世界へと羽ばたかせる、横浜工場は日産のマザー工場の役割を持っているのです。

●可変圧縮比エンジンを量産させるには様々な課題が

VCターボエンジンは、圧縮比を可変とするため、クランク機構にさらに複雑なピストンのストロークを変える機構が追加されています。それを量産エンジンに落とし込んで実現するためにクリアしなければならないことがいくつかあったと言います。

動画でその動きを解説してあるのがこちらです。

かなり複雑な動きに見えますが、考え方としては、クランクの位置をテコの原理を用いて動かしているようなイメージです。けれど、シンプルな考えではありますが、それを動く形にして、さらに量産するに当たっては、簡単にはクリアできない問題がありました。

まず、問題となるのは、1.リンクに大荷重がかかる、2.部品点数が多い、3.ピストン摺動位置が変わる、などです。量産するに当たり、こちらを解決するために、A.高精度部品の製造技術、B.高精度部品の加工技術、C.高精度部品のばらつきをコントロールする組み立て技術、D.それに新材料・新工法に果敢に取り組むチャレンジスピリッツが必要、なんだそうです。

たとえば、かなめとなるLリンクと呼ばれる平行四辺形の部品は、鉄の表面を削るやすりよりも硬い素材「HRC60」を使用していますが、これを精密加工する必要があったり、そこに潤滑のためのオイル流路の穴をきれいにささくれが出ることなくドリルで開けなければならなかったり。また、リンクによって可動部分がつながったユニットの組み付け精度の検査を、「職人の感触」を覚え込ませたロボットによって行ったり、といった工夫が採用されています。

それらはすべて、これまでのやや特殊な高性能エンジンを製造してきたから生まれた、新しい技術によってクリアできたもの。そして、チャレンジスピリッツは、「他のやらぬことをやる」という、日産創業者「鮎川義介」のDNAが、横浜工場に脈々と流れているからできたものだそうです。

具体例として、以下のような特殊な行程、パーツを使っています。

夢を30年前から温めたのは、この複雑な機構を量産するために実現する生産設備、製造技術などを確立するのに費やしたとも言って良いのではないでしょうか。

エンジニアが理想とする夢の技術を発明しても、デザイナーがどんなにかっこよく流麗な自動車をデザインしても、それを「量産」しなければ自動車メーカーとしては仕事にならないのです。さらに、それを世界中で販売して売れなければ商売にはならないのが、自動車メーカーなのです。

それができる会社が日本には複数あることが、誇らしく感じることができた、日産自動車横浜工場への訪問でした。

【追加情報】

■アトキンソンサイクルって本当はこれです

理想のエンジンのひとつの形として、可変圧縮比と共に、エンジン屋の夢とされてきたのが「圧縮比<膨張比」です。エンジンで燃焼して圧力が上がった空気は、まだ膨張するエネルギーを持った状態で廃棄されます。これをもっと膨張に使うため、圧縮の工程よりも長い膨張の工程があれば、燃料のエネルギーをもっと有効に使うことができます。

アトキンソンの2号機エンジン
アトキンソンの2号機エンジン

現在では、吸排気バルブのタイミングをコントロールすることで、見かけ上それを実現し、そのサイクルをアトキンソンサイクル(またはミラーサイクル)と呼んでいます。が、そのアトキンソンサイクルに名を残すきっかけとなる、イギリスのアトキンソン(James Atkinson)さんの作った第2号機関がこちらです。

複雑なリンク機構で出力を取り出すようになっていますが、見事に圧縮行程<膨張行程となっています。

アトキンソン2号機エンジンの行程
アトキンソン2号機エンジンの行程

1887年時代の6馬力型の例で、気简直径はそれぞれの行程で、
第1. 外行々程(吸入行程) 160mm
第2. 内行々程(圧縮行程) 128mm
第3. 外行々程(膨張行程) 280mm
第4. 内行々程(排出行程) 315mm
だったそうです。

そして、当時としてはやはり圧倒的に効率がよく、4馬力型では、図示熱効率20.6%、機械効率87.9%、正味熱効率で18%だったそうです。さらに、1888年の実験では、図示熱効率22.8%の結果を出し、これは世界記録だったとか。様々なサイズや改良型で、トータル1000台も販売されたそうです。

しかし、その後はオットーサイクルでも圧縮比を上げることで熱効率は上がることが注目され、複雑なリンク機構が大きく重く、また故障の発生にもつながることなどから、内燃機関はオットーサイクルの全盛を迎えることになったようです。

そして、理想的ながら実現が難しかったアトキンソンサイクルを、アメリカのラルフ・ミラーさんがバルブタイミングの変更で実現できることを発表します。

これを兼坂弘さんが月刊モーターファン誌で唱え続け、吸気バルブを遅く閉じることで実質吸気行程を減らし、アトキンソンサイクルを見た目実現させて、マツダが「ユーノス800」にKJ-ZEMエンジンを搭載し商品化させたものが、世界初のミラーサイクルエンジンです。

なので、バルブタイミングで見かけ圧縮比<膨張比を生み出すサイクルは、アトキンソンサイクルと呼ぶより、ミラーサイクルと表現したほうが、個人的にしっくりするのです。

ちなみに、日産ティーノのCMにも起用されたMr.ビーンことローワン・アトキンソンさんもイギリス人ですね。クルマ好きで知られるローワンさん、もしかして、血縁でしょうか?

(文・写真:クリッカー編集長 小林 和久)

参考文献/図版:内燃機関の歴史(富塚 清著・三栄書房刊)

内燃機関の歴史(富塚清著/三栄書房刊)
内燃機関の歴史(富塚清著/三栄書房刊)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
続きを見る
閉じる