76年もの昔、日産リーフの源流となる 東京電気自動車「たま電気自動車」登場【歴史に残る車と技術 001】

■ガソリン不足と航空機技術が生んだ量産型電気自動車

1947年に東京電気自動車で生産された「たま自動車」
1947年に東京電気自動車で生産された「たま自動車」

戦後まもない1947(昭和22)年に、戦前の立川飛行機から派生した東京電気自動車(後のプリンス自動車)が開発した電気自動車「たま電気自動車」が発売されました。

「たま」とは、工場のあった東京都多摩(たま)郡府中町にちなんだもので、この「たま電気自動車」が、世界初として評価されることもある量産型の電気自動車なのです。

●ガソリン自動車よりも古かった電気自動車の歴史

世界での電気自動車の歴史を振り返ってみれば、実用的な「電気自動車」は、1873年に英国のロバート・ダビットソンが開発しています。カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーが、「ガソリン自動車」を発明したのが1886年ですから、電気自動車の方が早く実用化されたことになります。

また、20世紀最高の自動車設計者との誉れ高いフェルディナント・ポルシェも、何とインホイールモーター式の電気自動車を、パリ万国博覧会に出展していました。120年以上も前にインホイールモーターを考案・製作していたとは、驚きです。

●バッテリーの性能不足がネックとなり、一旦市場から消えた電気自動車

19世紀末から20世紀初頭にかけて電気自動車は、蒸気機関やガソリン機関、ディーゼル機関と並んで、自動車の動力源の一役を担っていました。

しかし、内燃機関が急速に進化したのとは対照的に、電気自動車は実用的なバッテリーが開発されず、航続距離が短く、効率の良い充電方式が存在しなかったために市場性を失い、その後はガソリン車とディーゼル車が長く自動車のパワーユニットの主流となったのです。

●戦後の石油不足で生まれた「たま電気自動車」

日本でも、戦前からガソリン乗用車の開発が始まりましたが、戦争が始まると軍備品や軍需目的のトラックの生産が中心となりました。戦闘機を生産していた「立川飛行機」は、敗戦とともに軍需産業からの撤退を余儀なくされ、飛行機の技術者が中心となって、「東京電気自動車」が設立されました。

当時は、GHQの軍需物資統制や全般的な物資不足によって深刻な石油不足に見舞われ、一方で工場などが破壊されて電力需要が減ったことから電力には余裕がありました。こういった背景を受け、東京電気自動車は電気自動車の開発に着手したのです。

1947年に、2ドア4人乗りセダンの乗用車が完成。車名は、工場のあった多摩郡府中町の名にちなんで「たま電気自動車」と名付けられました。

●航空機技術者が手掛けた電気自動車

たま電気自動車の交換式バッテリー
たま電気自動車の交換式バッテリー

たま電気自動車は、全体的に丸みを帯びたスタイリングに前開きのエンジンフード、主翼に取り付けたエンジンフードのようなフェンダー埋め込みヘッドライトなど、随所に高度な航空機技術を投入。全長が約3m、全幅が約1.2mというボディは、現在の軽自動車の規格よりも小さく、一方で車重はバッテリー搭載のために、初期の軽自動車の約2倍に相当する1050kgもありました。

たま電気自動車スペック
たま電気自動車スペック

モーターはミッドシップ、バッテリーは車体中央下部に搭載されました。モーターは、日立製作所製の直流直巻モーター、カートリッジごと交換することができた鉛電池は湯浅蓄電池(現、GSユアサ)製で、最高出力は4.5PSを発揮、最高速度35km/hで満充電時の航続距離は65km。その後、1949年の改良型「たまセニア号」は、最高速度55km/h、航続距離が200kmまで向上しました。

しかし、生産直後にはガソリン供給が安定してガソリン価格が下がり、一方でバッテリー材料の高騰によって、たま電気自動車は1951年に生産を終了。タクシーなどで活躍したそうですが、3年余りで1099台の販売実績は、立派なものです。


2010年にデビューした初代リーフ
2010年にデビューした初代リーフ

たま電気自動車の生産中止から約60年の時を経て、2010年に本格的な量産電気自動車として登場したのが、東京電気自動車の流れを汲んだ日産の「リーフ」です。モーターの最大出力108.8PS、リチウムイオンバッテリー(容量24kWh)を搭載して、航続距離は200km(JC08モード)を実現。その後、リーフは進化を続け、現行の「リーフe+」の航続距離は458km(WLTCモード)まで向上しています。

たま電気自動車の航続距離200kmは、たまたま初代リーフと同じです。計測方法は不明ですが、おそらく定速走行での計測値か、計算値と思われます。初代リーフの計測法であるJC08モード運転は、最高速度81.6km/hで加減速の多いモード運転なので、同じ航続距離200kmと言っても、その性能差に歴然とした差があることは明白です。

しかし、76年も前に例え車速は低くても、200kmも走行できる電気自動車を世に送り出した東京電気自動車には、航空機技術者のプライドや戦後復興の執念のようなものを感じてしまいます。

量産型電気自動車の先陣を切った「たま電気自動車」は、日本の自動車技術の歴史を変えた車であることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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