昭和33年3月3日に誕生したスバル360ってどんなクルマ?「スバル360のすべて」より

■昭和の香りをお届けした「スバル360のすべて」

ワタクシ、自動車のメディアに、作る側から関わって33年目に突入しました。ちなみに、眺める側からだと50年ほどになるでしょうか。

スバル360のすべて表紙
スバル360のすべて表紙

自分がメディアを作ってきた中でも印象に残っているひとつのミッションが、「スバル360のすべて」という冊子を作ったことです。

弊社三栄(当時三栄書房)は1台の新車を取り扱う「〜のすべて」シリーズを刊行しております。その第1弾は初代ソアラで、1981年からスタートしております。

ゆえに、スバル360が誕生した昭和33年(1958年)に「スバル360のすべて」が発行されるはずもなく、平成15年(2003年)に「歴代レガシィのすべて」の別冊付録として発行したのです。私が企画・編集を担当したのでした。

その際、かつてモーターファン誌に掲載した記事の再掲載にくわえ、小林彰太郎さんによるスバル450の解説・試乗記事、モーターファン名物だった透視図、スバルのデザイナー佐々木達三さん自らのデザイン解説なども盛り込みました。新規の記事では、当時の開発者、富士重OBのエンジニアの方々に集まっていただいてのインタビュー、吉田由美ちゃんによる定番企画「使い勝手徹底チェック!!」、そして超貴重な1958年のカタログの縮刷版、などを掲載し、自画自賛ながら充実した内容になっています。

スバル360は、モーターファン誌初出時には、「スバルK111型」と表記され、その後のニックネーム「てんとう虫」はもちろん、「スバル360」という表記もなかったほど。その後、改良を重ね、出力アップ等パワートレインの進化、快適装備や安全装置の追加、最終的にはヤングSSといったスポーツモデルの登場などの進化を10年あまりにわたって続けていき、日本のモータリゼーションをスタートさせたクルマの1台と言っていい存在となりました。

その中でもあまり知られていないのが、バリエーション紹介に登場するスバル360の派生車ではないでしょうか?

●オープンモデル「コンバーチブル」は車内空調が目的!?

スバル360の兄弟たち
スバル360の兄弟たち

いくつかかいつまんで紹介すると、まず、有名な「コンバーチブル」。もともと、FRPの屋根を採用することで軽量化を計ったスバル360ですが、この屋根を折りたたみ式の幌にしたバージョンがあったのです。こんなおしゃれなモデルが、国民車構想として昭和33年に登場した翌年の1959年に登場したのですが、これほどレジャーシーンに似合いそうなモデルがそんなタイミングで出てきたとは、不思議だと思いませんか?

ちなみに、当時の紹介文を読むと、バカンスを楽しむためのオープンモデルではないことがわかります。クルマが普及する以前は、カーエアコンなんかもまだまだ浸透していないわけで、まして軽自動車に装着するなんて想像もなかったのでしょう。そこでスバルは暑い車内を涼しくするために屋根を開ける方法を考えたようです。紹介文には真夏に駐車しておいた車内は「華氏100度(約38℃)にもなる」と書かれてますが、当時は華氏のほうがピンとくる気温だったんでしょうか?

それに、大きな荷物を積むことも考慮されているとのこと。やはり、オープンモデルと言えども実用性以上のものを期待するような時代ではなかった、というのが想像できますね。

●待望のスポーツカーは1961年に登場

とはいえ、実用だけではなく、スポーツモデルの構想もありました。1961年の第8回東京モーターショー(1961年10月25日〜11月7日)には、スバル360をベースとしたスポーツカーが出展されています。厳密にはそこから派生したスバル450のエンジンを用い、フレームはこれまたスバル360から生まれた初代スバル・サンバーのものをベースにしているとのこと。23ps/3.8kgの出力・トルクを発生し、車重450kgの2人乗りボディは最高速度110km/hを達成する、となっていました。

残念ながら販売はされなかったのですが、市販されていれば、S660どころでないプレミアム価格になっていたのでは?

自動車はこれから白物家電のようになるのでは?と危惧されていますが、このように当時のことを知りたくなるようなクルマは果たしてこれからも登場するのでしょうか? 日本の自動車産業に期待するとともに、それを伝える仕事をこれからも続けられるよう努力を怠らないようにせねば、とかつての自分の仕事を眺めながら思うのでした。

クリッカー編集長 小林和久

【関連リンク】

スバル360のすべてはこちらの電子書籍で読むことができます。https://www.as-books.jp/books/info.php?no=NMS20031101

この記事の著者

編集長 小林和久 近影

編集長 小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務める。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
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