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■新潟からの助っ人電車がなにかと話題の南武支線へ
●地方から首都圏に引っ越した通勤電車は非常に稀
JR東日本は、新潟地区で運用していたE127系0番代を、南武線浜川崎支線(以下南武支線)に転用改造し、2023年度中に導入することを発表しました。南武支線は神奈川県川崎市内の尻手〜浜川崎間の路線。E127系0番代は、新潟から首都圏に転用されることになります。
E127系0番代は1995年に導入されました。ステンレス車体の2両編成で、最大4編成を連結した8両編成での運転にも対応。実際の運用では2・4・6両編成で使用されました。
通勤輸送に対応するため片側に両開き扉を3ヵ所設置し、車内はロングシートを配置。また、新造当初からワンマンに対応していて、車内には整理券発行機や運賃箱などを設置しています。
2014年からE127系0番代の後継車となる、E129系の導入が始まりました。置き換えられたE127系0番代のうち10編成は、2015年3月14日にJR東日本から経営分離された、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに譲渡され、ET127系として運用しています。
新潟地区に残留した2編成は、弥彦線を中心に運用していました。
しかし、2022年3月に定期運用を終了。その後、災害に見舞われたE129系の代走として復帰。定期運用では入線しなかった上越線でも運用しました。
今回南武支線への転用にあたり帯色が変更される他、車端部へフリースペースを設置し、室内灯をLED化するなどの改造が実施されます。
E127系0番代のように、地方で活躍した通勤電車が首都圏に転用されるのは、非常に稀なことです。過去の例では、宮城県の仙石線で使用していた72系970番代を、首都圏に転用改造した103系3000番代が挙げられます。
72系970番代は、1974年に103系と同等の車体に更新していましたが、首都圏への転用改造では電装品なども103系の部品に交換。正式に103系の仲間入りをするという、希有な経歴も持っています。
103系3000番代は1985〜1986年に川越線や青梅・五日市線に転用。八高線・八王子〜高麗川間が電化された1996年以降は、全車が八高・川越線に集結し、2005年まで使用されました。
E127系0番代や103系3000番代の様な例は、今後もあまり出てくることはないと思います。
●E127系0番代が投入される南武支線の歴代車両たち
南武線は、川崎〜立川間の路線と、尻手〜浜川崎間の浜川崎支線、尻手から東海道貨物線(品鶴線)の新鶴見信号場を結ぶ尻手短絡線の3路線から成り立っています。ただし、尻手短絡線は貨物列車のみが運行しています。
南武支線は、工業地帯への通勤輸送が中心となっていて、日中は40分間隔で2両編成の電車が走っているのんびりとした路線です。国鉄時代は、鶴見線大川支線とともに、17m車体の旧型国電が最後まで活躍した路線として有名でした。1980年に20m車体の101系に交代。JR東日本発足後に101系をワンマン化改造し、2003年まで使用されました。現在は中央・総武線各駅停車と、山手線から転用改造した205系1000番代を使用しています。
205系1000番代は3編成在籍していて、朝ラッシュは2編成を使用。そのほかの時間帯は1編成で運用しています。新潟から転用されるE127系0番代は2編成なので、朝はフル稼働ということになります。また、検査で工場に入場すると車両数が不足することになります。
そうなると気になるのが、3番目の編成はどうなるのかということですが、205系1000番代を1編成予備車として残留させるというのが無難な気がします。205系は4扉車で、E127系と扉の数は違いますが、現状問題ないと思われます。
ここで注目したいのは、燃料電池ハイブリッド車のFV-E991系HYBARI(ひばり)の存在です。
HYBARIは2022年に登場。南武線・鶴見線で実証試験を行っています。この車両はあくまでも試験車両なのですが、3扉車体の2両編成で、車内にはロングシートも設置されています。まさにE127系の予備車としてはうってつけに思えます。
HYBARIが実証試験を終了した後、ぜひ南武支線で営業運転をして欲しいと思っている人は少なくないはず。ともあれ、新天地で活躍するE127系0番代の姿を早く見たいものです。
(ぬまっち)