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■知られざるインドのクルマ事情
クラシックカー文化の伝道師、越湖信一さんが今回上陸したのは、インド! ヨーロッパでもなく、アメリカでもなく、何故インドへ? 実はインドでいまクルマがアツいって本当? 知れば知るほど面白い、インドのクルマ事情。その第1弾をお届けします!
●インドならではのクラシックカー文化
新年早々、私はインド・イタリアに滞在。エンスー道にどっぷりと浸かって帰国しました。数回に廻って「インド・イタリア南周りエンスー見聞録」をお届けしたいと思いますので、皆様お付き合いの程よろしくお願いいたします。
さて、正月早々なぜインドなのか?
実はコロナ禍の2年を除いて、このところ私は毎年インドにて開催されるクラシックカー・コンクールデレガンスに参加しています。2023年は今まで開催されていたデリー中心部ではなく、デリー、ムンバイの間にあるヴァドーダラーにてこの“21ガン・サルート コンクールデレガンス”が開催。私はその審査員として呼ばれていったというワケなのです。
インドのクラシックカー?とピンとこない方もいるかもしれません。しかし、英国との関係が深く、かつマハラジャという大富豪が文化を牛耳っているということに思い当たれば、なるほど、と思うのではないでしょうか。
古くからロールス・ロイス、ベントレーなどに、これでもかと言うほどの奇抜な装飾を加えたワンオフカーを、マハラジャたちは発注していました(蛇嫌いの私としてはその装飾に蛇が多用されるのにうんざりしているのですが…)。これらのクルマは“マハラジャカー”として世界最高峰のコンクールデレガンス、ペブルビーチにおいても専門のカテゴリーが設けられたくらいです。
また、時代が下ってくるとアメ車の時代となります。ビュイックやパッカードなどが、マハラジャたちのオフィシャルカーとして活躍し、インドでもノックダウン生産が行われました。ちなみに、インドでは輸入車に対してとんでもなく高い関税がかけられたことから、簡単に並行輸入などはできなかったし、それは現在でも続いています。
これら英車、アメ車がマハラジャ・ファミリーにより所有されてきましたが、時代の移り変わりと共に、そのクルマたちが一般の富裕オーナーの元へと“払下げ”られてきたのです。インドのクラシックカー界はこのような変遷を経て、そしてここ数年、急激に盛り上がってきています。
●若き男女が集うコンクールデレガンス
このイベントの主宰者であり、長く私の友人であるマダン・モハーンは、世界的に知られるインドのカーコレクターであり、HMCI(Heritage Motorcars of India)のオーナーでもあります。彼はペブルビーチやコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステをはじめ、世界の名だたるカーイベントには皆勤賞で、どこでも彼の顔を見ることができます。
「インドにクラシックカー文化を根付かせる」という、強いパッションを持って開催を決断したこのコンクールデレガンスも、今回で10回目の開催となります。彼のような情熱が、クラシックカー熱をより高めているのですね。
会場はヴァドーダラー中心部に位置するラクシュミー・ヴィラス・パレス。バッキンガム宮殿を凌ぐ広さを持つ、世界最大規模の宮殿ということです。宮殿の正面には巨大なゴルフコースが広がり、主宰のマダン曰く“インドのペブルビーチ”!。
コンクールデレガンスに参加する200台のクラシックカー、さらに多くのモーターバイクが右往左往し、開催直前まで会場は混乱の一途でしたが、開始時間に合わせて何とか仕上がってしまうのは、イタリアに似ている(笑)。若い男女ボランティアも大活躍で、そのてきぱきとした動きには目を見張るものがありました。
●加熱する自動車マーケット
ところで、2022年の自動車販売台数で、インドは日本を抜いて世界第3位となったというニュースを皆さんも聞いたはずです。そんな数字を裏付けるように、インドにおける自動車への関心はとても高いのです。
ですからこのインドにおける地方都市で開催されるある意味マニアックなクラシックカーイベントも大賑わい。それも、来場者が皆若い! 欧米や日本の、お年寄り(失礼)主体のソサエティとは大違いなのです。
コロナ禍による2年間のインターバルがありましたが、インドの街に降り立ってみると、そこにはインド自動車マーケットが大躍進中であるということがわかる、いくつかのトレンドを見ることもできました。
それと同時に、今回滞在するヴァドーダラーが禁酒エリアであるという事実も当然、知ることとなったのです。そんなの聞いてないよー、と絶望的な気分となった私。そんなインドの自動車ワールドの盛り上がりと私の困惑を続いてお伝えしたいと思います。<つづく>
(文・写真:越湖 信一)