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■エンジンのパワーアップに加えて4WDも進化
2001(平成13)年1月26日、三菱自動車の7代目「ランサーエボリューション(ランエボ)VII」が発表されました。
ベース車両は、フルモデルチェンジして第3世代となった「ランサーセディア」に変更し、エンジンのパワーアップと4WDシステムの進化を図りましたが、歴代ランエボの中では比較的地味な存在でした。
●WRCで黄金時代を築いたランエボ
初代ランエボがデビューしたのは1992年9月です。WRCに参戦するために「ランサー1800GSR」をベースに、ギャラン用の4G63型2.0L直4 DOHCターボエンジンを搭載し、ラリーマシンに仕上げました。
1993年からWRCグループAに参戦し、最高位は93年のRACラリー(ケニス・エリクソン)と94年のサファリラリーで2位(篠塚建次郎)ながら、ポテンシャルの高さを披露しました。
1994年に登場した2代目エボIIは、エンジンのパワーアップ、さらにサスペンションの改良やボディ剛性アップによって、初代で不評だった旋回性能を大幅に改良。1995年の第2戦スウェディッシュラリーにおいてエリクソンが、ランエボシリーズ初の優勝を飾りました。
続くランエボIIIとIVは、1996年に7戦中5勝を上げ、トミ・マキネンは4年連続でドライバーズチャンピオンとなり、また1998年に三菱はマニュファクチャラーズタイトルを獲得するなどして、WRCで三菱ラリーの黄金時代を築いたのです。その後も2001年までに、ランエボVが4勝、ランエボVIが5勝、ランエボVI.5(6.5)が3勝を飾りました。
●VCU(ビスカスカップリング)付センターデフからACDに変更して戦闘力強化
ランエボVIを引き継いだランエボVIIは、ベースのランサーがフルモデルチェンジしたため、ボディとして第3世代となる「ランサーセディア」がベースになり、剛性を高めながら空力性能も高めました。
エンジンは、伝統の名機4G63型2.0L直4 DOHCターボをチューニングして低中速トルクを向上。もう一つの特徴は、4WDシステムを従来のVCU(ビスカスカップリング)付センターデフから、高精度な電子制御ACD(アクティブ・センターデフ)に変更し、応答性に優れた操舵性と高いトラクションを達成したことでした。
しかし、技術の進化とは裏腹に、この頃の三菱は経営状況が悪化してレースに十分な資金を投入する余裕がありませんでした。
さらに、「Aクラス」から「WRカークラス」への移行のためのホモロゲーションの失敗などもあり、ランエボVIIは下位「Nクラス」へと主戦場を移すことになってしまったのです。
●最新WRCのパワートレインは、ハイブリッドに統一
1973年に、WRCは「グループ4」で始まり、1983年から「グループB」となりました。ところが、規制が緩かったために500PSを超すようなモンスターマシンの戦いとなり、死亡事故が多発。そのため、1987年に規制を強化して市販車に近い「グループA」に変更されました。
グループAでは、日本メーカーのトヨタ「セリカ」、三菱「ランエボ」、スバル「インプレッサ」が大活躍、1990年代後半には日本車がWRCを席巻します。
1997年にWRカーとして規定され、高性能の4WD車でなくても参戦可能となり、2022年シーズンからは「ラリー1」と名称が変更。ラリー1の特徴は、環境対応を意識して、1.6L直4直噴ターボに共通のハイブリッドシステムを組み合わせたパワートレインに統一されたことです。
昨2022年11月には、ラリージャパンが開催され、GRヤリスラリー1の勝田貴元選手が3位となり、大きな話題となりましたね。
ランエボは、最終的に「ランエボX」まで作られますが、WRCに三菱がワークスとして参戦したのはランエボVIが最後で、残念ながらランエボVIIはその舞台に上がることはできませんでした。人気が続いていたランエボだけに残念でしたね。しかし歴史は繰り返す、三菱がWRCに復活となる日が来ないとは言えません。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)