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■ミニバンとステーションワゴンを融合したコンパクトカー
マツダが経営危機に陥りフォード傘下となった1996(平成8)年、その年の8月26日にマツダから「デミオ」がデビューしました。開発リソースが限られる中、フォードのプラットフォームを使い、コンパクトながら多彩なシートアレンジや居住性を確保して大ヒットを記録しました。
●5チャンネル体制の失敗とバブル崩壊によって経営危機に陥ったマツダ
1980年代後半、“クルマは作れば売れる”というバブル景気の勢いに乗って、トヨタはトヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店、ビスタ店と5つの販売チャンネルを作り、ホンダや日産なども多チャンネル化を進めました。マツダも負けじと、バブル絶頂期の1989年にユーノスとオートザムという2つの販売チャンネルを新設し、それまでのマツダ、マツダオート(現アンフィニ)、オートラマの3チャンネルと合わせて、国内5チャンネル体制を構築しました。
ところが、その後はバブルの崩壊によって市場は停滞、マツダは販売台数を大きく落としシェアも下降しました。企業規模の大きくないマツダには、5ャンネルによる無理な車種展開が大きな負担になり、経営危機に陥ったのです。その結果、1996年にマツダはフォード傘下に収まることになったのです。
●日本メーカー初の外国人社長による抜本改革
フォード傘下となったマツダの社長には、フォードから派遣されたヘンリー・ウォレス氏が就任し、日本の自動車メーカーとして初の外国人社長が誕生しました。ここから8年間は、フォード出身の外国人社長による経営の立て直しが行われました。
ウォレス社長は、フォード流の経営手法を取り入れて財政体制を強化。また、フォードとの関係を重視して、フォードとのプラットフォームの共通化や開発、生産、購買までの全業務をデジタル化して経営全体の効率を図るなど、経営再建計画を次々に推進しました。また経営の合理化に加え、5チャンネル体制の縮小や大幅な車種削減、デミオなど主力車種への集中が急ピッチで行われました。
●マツダの救世主となったデミオ
苦境の時期1996年にデビューしたデミオは、当時人気のミニバンとステーションワゴンを融合した新しいジャンルを開拓しました。
シンプルでボクシーなスタイリングに、多彩なシートアレンジや広い荷室スペースを実現して実用性と居住性を両立。パワートレインは、1.3&1.5L直4 OHCの2種エンジンと、5速MTおよび4速ATの組み合わせ、駆動方式はFFでした。
デミオは、ファミリー層を中心に社用や商用としても絶大な支持を受け、フォード店から販売された兄弟車「フェスティバミニワゴン」と合わせると発売1ヵ月の受注は21,200台を記録。発売後1年で、生産台数10万台を達成し、まさしくマツダの救世主となりました。
その後もデミオは、激戦区のコンパクトカーで安定した人気をキープして、2019年に車名が2代目以降海外で用いられていた「Mazda2」に変更されました。
2021年末に、マツダは欧州で「Mazda2ハイブリッド」を発表しました。トヨタのOEM供給で「ヤリスハイブリッド」がベースのようです。おそらく日本の次期Mazda2に、これが投入される可能性が高いと思いますが、トヨタとの協業が進むとマツダ固有のブランドが薄れるようで少しさびしさを感じてしまいますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)