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■エジソンの激励を受けてフォードは自動車の開発を加速
1896(明治29)年8月11日、エジソン照明会社のチーフエンジニアであったヘンリー・フォードは、会社のパーティで始めてエジソンと話す機会を得ました。この時すでにガソリン自動車の開発を行っていたフォードは、エジソンから今後はガソリン車が有望であるとの激励をもらい、本格的に自動車事業に着手することを決断したのでした。
●ヘンリー・フォードは、照明会社に勤めながらガソリン自動車を製作
ヘンリー・フォードは、1863年にミシガン州ディアボーンで農場を経営する家庭の長男として生まれました。高校中退後、機械いじりが好きだったフォードは、見習い工や蒸気機関の修理工として働きます。
その後、28歳の時に発明王トーマス・エンジンが設立したエジソン照明会社へ就職。当時から、自動車に興味を持っていたヘンリー・フォードは、チーフエンジニアを務めながら、内燃機関の実験を繰り返し、1896年には「Ford Quadricycle(クォドリシクル)」と名付けた4輪のガソリン自動車を製作しました。
1886年にカール・ベンツがガソリン自動車を発明してから10年程度しか経っておらず、まだ蒸気自動車と電気自動車、ガソリン自動車が混在している状況で、フォード自身も電気自動車とガソリン自動車のどちらが将来有望なのか、迷っていました。
●エジソンは、ガソリン自動車の方が将来有望であると断言
フォードがエジソンと初めて会ったのは、1986年にエジソン照明会社の代表者会議の後に開催されたパーティでした。電気の会社らしく乗り物用電池の充電が話題となっていた時、エジソンはフォードがガソリン自動車を製作したことを知り、大いに興味を持ち矢継ぎ早に疑問をぶっつけます。2ストロークか4ストロークか、点火はどうしているのかなどを質問、それに的確に答えるフォードのガソリン自動車に対する熱い想いに共感し、ガソリン車が将来有望だから頑張れとフォードを激励します。
電気に関して世界一の知識を持つエジソンから、電気自動車よりもガソリン車の方が将来有望であるというお墨付きをもらい、フォードは大いに自信を持ち、本格的な自動車事業を進めることを決断します。
その後もフォードは、エジソンと親交を続け、様々なアドバイスを受けることで改良を進めます。1899年には、フォードは独立して「デトロイト自動車」を設立、本格的に自動車づくりを始めました。
●その後フォードは、大量生産方式によって自動車を大衆化
会社経営で紆余曲折がありましたが、ヘンリー・フォードは1903年に「フォード・モーター・カンパニー」を設立し、1908年に「T型フォード」を発売します。
T型フォードは、従来の手作りの自動車づくりから、ベルトコンベアを利用したライン生産方式による大量生産によって、大幅な販売価格の低減に成功。1914年に販売台数は25万台を超え、1918年には米国で保有される自動車の半分はT型フォードになりました。
それまでの富裕層のための自動車を大衆化させた功績から、ヘンリー・フォードは、「自動車の育ての親」と称されています。フォードは、成功後も生涯エジソンに心酔し続け、エジソンの功績をたたえるため、彼の家や研究所など多くの爪痕を再現することに注力したそうです。
フォードは、“大量生産でコストダウンを図るという方式は自分が考えたと思われていますが、エジソンはずっと前からそれをやっていた”と話しています。エジソンに対する敬意がよく表れている発言ですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)