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■”必要は発明の母”。専売特許制度が開始
1885(明治18)年4月18日、「専売特許条例」が公布され、日本の特許制度が始まりました。専売特許条例は、発明の保護や利用を図ることで発明を奨励し、産業の発展に寄与することが目的。特許の大切さを知ってもらうため、今日は「発明の日」とされています。特許や発明というと大変なことのようですが、ちょっと困って必要に迫られたときのアイデアやひらめきが大発明につながるらしいですね。
4月18日には、タレントの上地雄輔、アナウンサーの小宮悦子と小野文惠、俳優の宅麻伸、評論家の犬飼智子、東急グループ創設者の五島慶太、大リーガーのミゲル・カブレラ、F1ドライバーのヨッヘン・リントなどが生まれています。本日紹介するのは、ヨッヘン・リントです。
●レース事故死の後にチャンピオンが確定したヨッヘン・リント誕生
ヨッヘン・リントは1942(昭和17)年4月18日、ドイツのマインツで生まれました。第2次世界大戦で両親を亡くし、オーストリアの祖父母に育てられたため、国籍はオーストリアです。19歳の時にF1のレースを観てF1ドライバーになることを決意。1963年、21歳の時にフォーミュラ・ジュニアで優勝したことから実力が認められ、翌年にはF2に参戦。F2の一戦で、当時大スターであったグラハム・ヒルを抜き去って見事優勝を飾り、大きな注目を浴びます。
1965年からクーパーと契約してF1に本格参戦。この年にはル・マン24時間レースでもフェラーリを駆り優勝を果たしています。F1では、何回も表彰台を経験するも惜しいところで優勝を逃しますが、1969年の米国GPで念願の初優勝。1970年には、モナコGPでの優勝を皮切りに、第5戦から第8戦まで4連勝を果たし、ランキング1位の独走状態となります。しかしここで悪夢が襲います。10戦目のイタリアGPでブレーキシャフトが破損してコースアウト、ガードレールに激突してリントはあっけなくこの世を去ってしまいます。結局、ランキング1位のままでシーズンは終了、F1史上初の、「死後にチャンピオンが確定したドライバー」となりました。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?
●米国で生まれたアクティブMPVのホンダ・エレメントがデビュー!
2003(平成15)年4月18日、ホンダから北米生産モデルの新型MPV「エレメント」がデビューしました。エレメントは若者をターゲットにした5人乗りのMPV(マルチパーパスヴィークル)。企画から開発・生産までアメリカで行った米国ネイティブのユニークなモデルです。
スタイリングは、ツートーンの面構成と極太の構造物をイメージしたボクシーなデザインを採用。ドアの構成も個性的で、サイドドアは観音開き&センターピラーレスということもあり、ドア開口部は高さ1140mm、幅1550mmと超大型。リアゲートは上下2分割のクラムシェル型、荷物の出し入れが容易、その上室内は防水性に優れているので、ロングサーフボードも搭載可能です。パワートレインは2.4L直4DOHC 16Vエンジンと4速ATの組み合わせ。駆動方式は基本FFながら雪道など滑りやすい路面では4WDに自動的に切り替わるリアルタイム4WDを採用しています。
エレメントは、アクティブライフをサポートする遊び心満載のクルマでしたが、米国での人気に対して、日本での販売は奮いませんでした。基本的なライフスタイルの違う米国と日本の両方でヒットさせるのは、なかなか難しいですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)