日本人初の2輪世界GPで優勝を果たし、日産ワークスGT-Rで活躍、NSXでル・マン優勝も。レジェンド・ドライバー高橋国光さんが逝去

■2輪と4輪の双方で活躍、80歳を超えても「TEAM KUNIMITSU」総監督

高橋国光さん
高橋国光さん(2019年)

ロードレースと自動車レースの双方で目覚ましい活躍を演じ、近年はレーシングチーム「TEAM KUNIMITSU」の総監督を務めていた高橋国光さんが、2022年3月16日(水)に亡くなりました。82歳でした。

高橋国光さんは1940年(昭和15年)1月29日、東京都北多摩郡小金井町(現小金井市)生まれ。

マン島での世界選手権。(「走れ、クニミツ」より)
マン島での世界選手権。(「走れ、クニミツ」より)

1958年に18歳で2輪レースにデビューするといきなり全日本クラブマンレースで優勝し、頭角を現します。1960年にホンダのワークスライダーとなり世界GPに参戦を開始。翌1961年の西ドイツGP250ccクラスで日本人として初の優勝を果たし、その名を世界的なものとしました。

1966年3月、富士で行われたクラブマンレースにフェアレディ1600で出場し、4輪での初優勝。
1966年3月、富士で行われたクラブマンレースにフェアレディ1600で出場し、4輪での初優勝。

1964年からは4輪に転向し、日産のワークスチームでR380やスカイライン2000GT-Rを駆って国内ツーリングカーレースで活躍。

1977年F1日本GPテストでは豪雨の中でも、ファンに走りを披露。その後日本人最上位を記録。
1977年F1日本GPテストでは豪雨の中でも、ファンに走りを披露。その後日本人最上位を記録。

日本国内だけでなく、1977年にはF1日本GPにスポット参戦、1995年にはル・マン24時間レースでホンダNSXを駆り、GT2クラス優勝を飾るなど、4輪でもトップドライバーとして君臨し続けました。

1999年に引退し、80歳を過ぎた後も「TEAM KUNIMITSU」の総監督して、スーパーGTに挑戦していました。

2輪と4輪の、世界の舞台で輝かしい記録を残してきた日本レース界のレジェンド。心よりご冥福をお祈りいたします。

※高橋国光さんの「高」は「はしごだか」が正式です。

(クリッカー編集部)

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