薩摩と長州が同盟/上杉謙信生まれる/ハイソカーの傑作トヨタ2代目ソアラがデビュー!【今日は何の日?1月21日】

■薩長同盟で手を結んで明治維新へ踏み出す

1886(慶応2)年1月21日、薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允が、土佐の坂本竜馬の仲介のもと京都で薩長同盟を結びました。倒幕というひとつの目的のために、敵対するライバルが手を組んだわけです。今でも、政治の世界では派閥争いでよくありますね。

さて、1月21日に生まれたのは、タレントの高田純次、ラグビー選手の平尾誠二と堀江翔太、ゴルファーのジャック・ニクラウス、実業家の稲盛和夫、元F1ドライバーでクリッカーテストドライバーの井出有治、武将の上杉謙信などです。本日は上杉謙信を紹介しましょう。

●戦国最強の武将と呼ばれた上杉謙信が誕生

上越妙高駅前の上杉謙信銅像
上越妙高駅前の上杉謙信銅像

上杉謙信は、1530年1月21日に越後(現、新潟県)守護代の長尾為景の次男として生まれました。病弱だった長男に代わって家督を継いで守護代、春日山城主になります。その後、越中、加賀、能登と勢力を拡大、さらに武田信玄と信濃の覇権をめぐって、有名な川中島の戦いで何回も激突。真偽は定かではありませんが、戦績は61勝2敗8分とか、43勝2敗25分ともいわれ、最強の武将と呼ばれています。また、今川家が武田への塩の供給を止めたときに、敵であった武田に上杉謙信が塩を送ったという有名な伝説が残っています。「敵に塩を送る」。今でもよく使われる格言ですね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●先進技術を結集した2代目ソアラがデビュー!

1991年にデビューした2代目(ソアラ2.0GT ツインターボ(C)Creative Commons
1991年にデビューした2代目(ソアラ2.0GT ツインターボ(C)Creative Commons
2代目ソアラの後ろ外観。独特のリアウィンドウとシャープなリアエンドが特徴(C)Creative Commons
2代目ソアラの後ろ外観。独特のリアウィンドウとシャープなリアエンドが特徴(C)Creative Commons

1986(昭和61)年の1月21日、トヨタ・ソアラが初めてのモデルチェンジを行い、2代目がデビューしました。1981年に登場した初代ソアラは、豪華さと高性能を併せ持つ、高級セダンのスペシャルティカーとして大ヒット。後のハイソカーブームの火つけ役となりました。

2代目ソアラは、初代のイメージを引き継ぎながら、より洗練されたスタイリングを採用。パッと見の印象は大きく変わりませんでしたが、最新技術を積極的に投入していることが特徴でした。新技術は、カラー液晶パネル、4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション、豪華なスウェード調のグランベールインテリア、七宝製シンボルマークなど、多岐にわたります。パワーユニットには当時最強の3.0L直6DOHC24Vインタークーラー付きターボエンジン、および2.0L直6 24V DOHCツインターボエンジンを搭載して、圧倒的なパーフォーマンスを発揮しました。

2代目ソアラの乗り心地の良いラグジュアリーシート
2代目ソアラの乗り心地の良いラグジュアリーシート

上品なスタイリングと力強い走り、そして先進技術満載の2代目ソアラは、バブル期と重なったこともあり、400万円を超える最上級モデルが飛ぶように売れました。特にクリスタルホワイトやスーパーホワイトのソアラは、すれ違うたびに思わず見惚れてしまうような、当時憧れのクルマでしたね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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