日本人唯一のF1ドライバー・角田裕毅選手の2年目に期待大【週刊クルマのミライ】

■2022年こそ鈴鹿で角田選手を応援したい

●10か月ぶりに見る角田選手はたくましくなっていた

角田裕毅(2022)
F1ドライバーとして2年目のシーズンに向けて「結果を求めて死にもの狂いで戦っていきたい」と語った

四輪レースの最高峰といえば、F1グランプリというファンは多いことでしょう。

2021年のF1グランプリは、コンストラクターズチャンピオンが8年連続でメルセデス、そしてドライバーズチャンピオンは、レッドブル・レーシング・ホンダのマシンを駆ったマックス・フェルスタッペン選手でした。

フェルスタッペン選手と、メルセデスのルイス・ハミルトン選手が最終戦で見せた熱いバトルは、まだ記憶に新しいところでしょう。

2021年シーズンはホンダがF1参戦休止を宣言したためラストイヤーとなることで日本からの注目度も上がりましたが、久しぶりの日本人F1ドライバーとして角田裕毅選手がアルファタウリのシートを得たことも話題となりました。

そんな角田選手の姿を、オンライン会見で再び見ることができました。

前回、角田選手の姿を見たのは2021年シーズンイン直前3月に開催されたオンライン会見でした。たった10か月ですが、ひとめで逞しい体つきになっていることを感じます。F1ルーキーシーズンは、それほどタフな一年だったことが容易に想像できました。

実際、開幕戦でいきなりポイントと獲得した角田選手でしたが、そこからスランプといっても過言ではない状態に陥ります。クラッシュもありましたし、結果を残せない日々が続きました。まさに負のスパイラルにはまっていたのです。

●イタリアに転居したことも飛躍につながった

角田裕毅(2021)
2021年3月にオンライン会見をした際の角田選手。比べると首回りが華奢に見える

F1初戦で入賞したことで、「正直、F1を甘くみるようになった」と当時の心情を吐露する角田選手。しかし「クラッシュしないことを心がけて走るようになった」ことで自信が失われていきます。

そんな角田選手の転機となったのは、それまで住んでいたイギリスからチームの本拠地があるイタリアに引っ越したこと。イギリスでは食生活もデリバリー中心で、すき間時間にはゲーム三昧という「F1ドライバーとしてはあり得ない日々」を送っていたそうですが、イタリアに移ってからは、チームとのコミュニケーションも豊富となり、さらにフィジカル・トレーニングも午前と午後に行なうなど肉体的にもレベルアップしたといいます。

「そのおかげで最終戦のアブダビグランプリでは安定して走ることができ、4位入賞を果たすことができました。さらにフィジカルを鍛えていきたい」と角田選手は語ります。

シーズン途中でシャシーを変えたことも負のスパイラルから抜け出すのには一役買ったといいます。新シャシーはコントロール性がよく、自分の感覚が戻っていったということです。

そうして気持ちが前向き・上向きになってきたことでグランプリウィークの時間も有効に使えるようになったといいます。

ちなみに、角田選手の走行前のルーティンは「5分間、自分だけの時間をとった、頭の中で理想のラップをシミュレーションするというアプローチをします」というもの。

シーズン中盤では、異なるアプローチを試行錯誤したこともあったそうですが、結果的には自分自身が昔から行なっているルーティンに落ち着いたことで結果が伴ってきたという話を教えてくれました。

●1年目は学び、2年目はチャレンジ

2022年のF1グランプリは、18インチタイヤに変わるなど新レギュレーションとなりますが、角田選手は「結果を求めて死にもの狂いで戦っていく、大きくチャレンジする年」と位置付けています。1年目の学びをパフォーマンスとして活かす勝負の一年というわけです。

ひとまずの目標はチームメイトであるピエール・ガスリー選手より前を走ること。そのためには2021年の最終戦で得た好感触・レース勘を、2022年の開幕戦までつなげることが大切だと話します。

1年目の学びについて、ドライバーとしてチームと一体になって貪欲に速さを求めていく姿勢についてのエピソードを教えてくれました。

チームメイトのガスリー選手はチームとコミュニケーションをする能力が高いことを実感したそうですし、チャンピオンになったこともあるフェルナンド・アロンソ選手が夜遅くまでサーキットに残って、少しでも速くなるようチームと話し合っている姿も刺激になったといいます。

日本人ドライバーは、ともすればサーキットを離れるのが早い傾向にあるのですが、一戦に賭ける思いをどれだけ強くでき、そのために行動できるかがF1ドライバーとして結果を出すために必要だということを角田選手は学んだようです。

それにしても、新型コロナウイルスの影響により2021年の鈴鹿・日本グランプリが中止になったのは、鈴鹿育ちの角田選手にとって非常に残念なことだったといいます。

「2022年こそ鈴鹿で走りたいと思います。何ラップ走っても飽きない、大好きなコースです。そして、僕自身、かつて小林可夢偉さんが鈴鹿の表彰台に立たれた姿を生で見ていますから……」と、角田選手も表彰台を目指すという意志をコメントに込めてくれました。

日本のファンも、角田選手が鈴鹿で走る姿を見たいはずです、応援したいはずです。そうした声に応えて、日本人最上位を更新する結果を残してくれることを期待しましょう。

自動車コラムニスト・山本晋也

この記事の著者

山本晋也 近影

山本晋也

日産スカイラインGT-Rやホンダ・ドリームCB750FOURと同じ年に誕生。20世紀に自動車メディア界に飛び込み、2010年代後半からは自動車コラムニストとして活動しています。モビリティの未来に興味津々ですが、昔から「歴史は繰り返す」というように過去と未来をつなぐ視点から自動車業界を俯瞰的に見ることを意識しています。
個人ブログ『クルマのミライ NEWS』でも情報発信中。2019年に大型二輪免許を取得、リターンライダーとして二輪の魅力を再発見している日々です。
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