目次
■今なら見ない広告、編集ページあれこれ…
広告とは、企業やメーカーなどが自分たちの製品を世の中にPRするもので、雑誌なら1ページいくらで、テレビCMなら15秒スポット、 30秒スポットでいくらという単位で費用を払って広告します。
雑誌なら決まっているページ数のうちの何ページかを広告に充てるわけで、筆者などは雑誌の広告料というのはいわば場所代だと思っています。
さてその「広告」。自社製品をアピールするのに、他社製品を持ち出して自社製品の優位性を強調する「比較広告」というのはなくなり、いまどきのことですからどの広告もお行儀よく、ましてやチェックもそれなりになされていますから誤字・脱字などというものはありません…。
という目で昔の雑誌広告を見ると、「どう見ても変だろ、これ」と思うようなものを目にします。
今回は弊社「モーターファン」誌の1960年代初頭のバックナンバーを開き、「今ならまずこんな広告をどこも出さないだろう」「こんな表現、いまどきしないだろうなあ」というものを集めてみました。
●「三菱500・グリルデザイン募集!」(新三菱重工業(現・三菱自動車工業))
まずは「モーターファン・1960(昭和35)年1月号」より。
今なら開発中・発売前のクルマはひた隠しにするのが通例ですが(意図的にリークし、事前に話題にしてもらうためにあえてスクープ「させて」いる例もあるようですが)、この時代にして発売前のクルマを世の中にさらし、「グリルデザイン募集」とは!
たぶん写真のクルマは最終試作車だと思われますが、募集しているグリル部分は仮の姿なのでしょう。いまならさしずめ、発表秒読み、いや、分読み段階にある新型Zのフロントデザインを日産が募集するようなものでしょうか。
賞品は、特選が「三菱500」を1名、佳作が「5万円」で10名様。当時のクルマ1台に、5万円×10名=50万円ならかなりの額で、当時の新三菱重工業、今の三菱自動車がこのクルマに賭けた意気込みが垣間見えるというものです。
●「ドライブのときはオートラジオ ハイキングのときはポータブル・三菱トランジスタオートラジオ」(三菱電機)
同じ1960(昭和35)年1月号のモーターファン誌の表4(表紙の真裏のこと)より。
今はおそらく過半数のクルマにナビゲーションがあり、テレビやラジオが内蔵されていますが、登場した1990年代初頭から少しずつ、ゆっくりと普及して今に至っています。まず手にしたのは、多分クルマへの予算が潤沢な方からで、ナビの普及につれて低価格化が進み、それがさらにナビを広めていきました。
で、この時代のラジオ。実は90年代から今に至るナビの広まりを、そのまま60年代のラジオ普及に置き換えることができるのです。その証拠に、1960年代のモーターファン誌では、その時代の最新型ラジオを各メーカーから集めて「ラジオ特集」を数年おきに組んでいたほどなのです。
ラジオはもともと家の中で聞くものでした。それが動くクルマの中でラジオ放送が聞けることに人々は感銘を受けたらしいです。本来、「家の中」限定だったものが「動くクルマの中ででも」楽しめるようになったという観点から見ても、60年代のラジオと90年代~現在の(ナビ内蔵の)テレビは同じ歩みのような気がします。
で、このラジオ。移動中は車内に据え付け、出先では取り外して出歩きながら…。このへんも、いまは無きサンヨー発・今はパナソニック製造のポータブルナビゲーション「Gorilla」に似ています。今はナビもスマートフォンで満足する方が多いのだそうです。
●「あなたの夢をかなえた1960年の軽自動車・コニー360」(大阪ヂャイアント)
続いてモーターファン誌1960(昭和35)年2月号から。
「コニー」も「ヂャイアント」も愛知機械工業が製造していたクルマのネーミング。「大阪ヂャイアント」はおそらくコニーやヂャイアントを売っていた販売会社名でしょう。
で、その広告ときたら、文字は謳い文句と車名、メーカー名にとどまり、あとは女性を横にしたクルマの大きな写真だけというシンプルさが好感の広告。
ひとつ非常に気になるのは、当時の360cc軽自動車はかなり小さいはずなのに「横の女性モデルさんとの大きさ比率が違ってないか?」といいたくなる点。よく見るとモデルさんの右手と車体が重なる部分の関係が実に不自然で、そう考えたとたんにモノクロながら光のあたり方も異なっているように見えてくる…。どうやらこれは合成と考えてよさそうです。
社名が「ヂャイアント」だからクルマも大きめにしてしまったのでしょうか。いまならCG合成ですませるでしょうが、このようなチグハグなことはしないでしょう。
●「ポインター号」(新明和興業)
モーターファン誌1960(昭和35)年3月号より。
「ポインター」といっても「ウルトラセブン」に出てくるウルトラ警備隊のポインターではありません。2輪バイクの「ポインター」です。その「ポインター」のバリエーションの中の「エース」に「コメット」は、その後のウルトラセブンの弟の弟や魔法少女の名称になるのがおもしろいところ。
謎なのは、下の女性モデル写真にぼかしが入っている点です。何かの狙いがあったのかもしれませんが、見る側にはまったく意図が伝わらず。今なら出版事故扱いになるかもしれません。
※ウルトラセブンの弟の弟とは「ウルトラマンエース」、魔法少女は、九重佑三子や大場久美子が演じた「コメットさん」のことです。念のため。古い!。
●「Vが示す技術の勝利!! ライラック」(丸正自動車製造株式会社)
モーターファン誌1960(昭和35)年3月号から、2輪バイク広告を。
バイクに横たわって疾走とは! 実は2輪のテスト項目の中に、このようなスタイルで行うものがあるようです。決して悪ふざけをしているのではなく、正規のテストなのです。
今でもバイクメーカーが新車開発の中でこのようなスタイルのテストを行っているのかどうかは知りませんが、こんな写真を世に出そうものなら批判殺到、真似をする若者も出てくるやもしれません。筆者も別の写真でこのスタイルを初めて見たときは「ふざけているのか」と思ったものです。
そういえば、「仮面ライダー」だったか「仮面ライダーV3」だったかで、この格好での「変身!」シーンを見た覚えがあります。よい子のみんなは真似してはいけません。
ここまでは広告の寄せ集めをしてきましたが、ページをめくっている間にヘンなページも見つけましたのでお見せしましょう。
●だめでしょ、こんなことを小学生にやらせちゃあ!
戦後から始まった「モーターファン」誌、1996年休刊までの50年余の間、その時代時代に応じて1冊の中でページ構成が変化しています。
ここに掲げている1960年代の「モーターファン」誌では、写真を並べて見せるページが設けられていました。
新車発表会の様子や地方に見る美しい景観、当時から社会問題になっていた東京都内の渋滞ほか、ちょっと目にしたささやかな微笑みや幸せ、ほのぼのした思いを誘う光景など、レンズが切り取った街の一瞬一瞬の表情にジャンルは問われていません。
前2点と同じ号をめくっているうちに見つけてしまった「今じゃあ絶対やらんだろ」な1枚を見つけてしまいました。
いくら隣におまわりさんがいるとはいえ、小学生の女の子に思いっきり交通整理をさせています。てっきりどこか街を模した場所(映画撮影所のセットなど)での写真かと思ったのですが、周囲のクルマやバイクの様子、信号機がチラ映りしていることからしてどうも本物の交差点のようです。
キャプション(写真の添え書きのこと)には「社会科教育を兼て交通道徳のPR まさに一石二鳥といった所だが 交通安全週間だけに終らなければよいのだが」とあります。
いまこんなことをやって「アクセルとブレーキを踏み間違えた」クルマが突っ込んできたらシャレにならん…。月並みな表現ですが、「おおらかな」時代だったのですね。
●結局これが選ばれました
次は1960年4月号より。前年(1959[昭和34]年)末あたりから募集していた三菱500のグリルデザイン、選考のすえ「これが選ばれました!」と報じているページがこれ。
……。
まんまるおめめのころりんとした顔に、派手でもなく、かといって安っぽいわけでもなく、なかなか収まりのいい、この顔によく似合うデザインになっています。
応募総数1748点の中から「特選」を勝ち取った柳田氏が、ただのクルマ好きなのか、デザイン分野の関係者なのかわかりませんが、実にうまい形を生み出したもので、募集広告にある「…近代的で品位あるグリル…」という要件をきちんと満たしていると思います。
そして普通なら「当時としては近代的」というところですが、この形ばかりは今のクルマに当てはめてもピタッと当てはまりそう。なかなかの腕前ではありませんか。今のクルマはグリルも含めた全体のスタイルが煩雑にすぎると思います。柳田さん、ちゃんと「三菱500」1台、もらえたのかなあ。
●結局こうなりました
で、翌月5月号では、発表された新型車「三菱500」を紹介。
……。
まったくちがう形じゃないの! 柳田さんの案はどこ行った!?
以上、昔のモーターファン掲載のヘンな広告&ページ紹介でした(柳田さん、がっかりしたろうなあ…)。
(文:山口 尚志/写真:モーターファン・アーカイブ)