ウォール街で株価大暴落/日本初のF1開催/三菱のスポーツモデルFTOデビュー!【今日は何の日?10月24日】

■世界恐慌の引き金となったウォール街の大暴落起こる

1929(昭和4)年10月24日、ニューヨーク・ウォール街の証券取引所で株価が大暴落、これがきっかけとなって世界大恐慌が起こりました。この日は木曜日だったので「ブラックサーズデー」と呼ばれています。株価大暴落の原因は、戦後好況下の過剰な生産・投資が回収できなくなって、銀行・企業の倒産や失業が連鎖的に発生したことであり、それが米国と経済的な繋がりの強い各国へと広がったのです。日本では、当時輸出品の中で大きな割合を占めていた生糸の輸出が激減して、経済的に大きな打撃を受けたそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●日本で初めてF1グランプリが富士スピードウェイで開催

1976(昭和51)年のこの日、日本初となるF1イベント「F1世界選手権イン・ジャパン」が開幕しました。日本のファンにとっては待ちに待ったF1。ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの戦いが見れるということで、空前の盛り上がりをみせました。10月24日の決勝はあいにく大雨の中でスタート。ラウダが途中で棄権し、ハントが大きく遅れるなど波乱の展開となりましたが、結局はハントが猛追して3位に食い込み年間チャンピオンを獲得、優勝はアメリカのマリオ・アンドレッティがもぎ取りました。日本人では星野一義が一時3位に浮上する大健闘を見せましたが完走はならず。このほか日本勢ではマキやコジマといったコンストラクター、長谷見昌弘や竹原敬武、桑島正美といったドライバーが勝負を競いました。

●RVで絶好調の三菱が放ったスポーツモデルFTOデビュー!

1994(平成6)年のこの日、三菱自動車のスポーツモデル「FTO」がデビューしました。当時の三菱は、パジェロRVRデリカといったRVが大ヒットして絶好調。そのような中、新しく取り組んだのがスポーツモデルで、1990年の「GTO」の復活に続いたのが、弟分のFTOでした。最初にFTOの名を冠したのは、1971年発売の「ギャランクーペFTO」ですが、兄貴分のギャランGTOほど人気は得られず、1975年に生産を終了しました。

1994年発売のFTO
1994年に発売されたFTO
1994年発売のFTOの後ろ外観、サイドアダムと大型スポイラーが際立つ
FTOの後ろ外観。サイドアダムと大型スポイラーが際立つ

新しいFTOは、曲線基調でワイド&ローの典型的なクーペスタイル、プロジェクターランプを組み込んだヘッドライトや楕円グリル、流れるようなサイドエアダム、リアスポイラーなどを採用。内装も、ボリューム感あふれるインパネやグリップにディンプル加工を施した3本スポークのステアリング、ハイバックスポーツシートなど随所にスポーティさを演出しました。パワートレインは、1.8L直4SOHCエンジンおよび2.0L V6 SOHC 24VエンジンとそのMIVEC(可変動弁機構)仕様。トランスミッションにはマニュアルシフトが可能なスポーツATが組み合わされました。

1990年発売のGTO、FTOの兄貴分として先行して発売
1990年に登場したGTO。FTOの兄貴分として先行して発売

FTOは個性的でアグレッシブなスタイリングや高出力のMIVECエンジン、マニュアル感覚が楽しめるスポーツモードATなどが注目され、販売目標2000台/月を上回る順調な滑り出しを記録しました。その後もスポーツモデルとしては堅調な販売を続けますが、1990年代後半に入ると市場はRVよりもミニバンSUVが人気となり、三菱の業績は大きく悪化します。FTOは車種削減対象になってしまい、2000年には生産を終了しました。

スポーツモデルのような数の出ないクルマは、メーカーに余裕がないと開発するのは厳しいとういうことですね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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