世界初の全身麻酔手術/フィアットとクライスラー統合/FFとなった5代目日産サニー登場!【今日は何の日?10月13日】

■花岡青洲が世界初の全身麻酔手術に成功

花岡青洲肖像画
花岡青洲肖像画

1804(天保6)年10月13日、外科医の花岡青洲が世界初となる全身麻酔による手術に成功しました。手術は、麻酔薬「通仙散」を使った乳がんの除去でした。西洋でエーテル麻酔が使われる40年も前のことで、傷口は焼酎で消毒して縫い合わせました。通仙散は、朝鮮アサガオと山トリカブトを調合したもので、麻酔の効果は5、6時間続いたそうですが、秘伝の薬であったため製法の詳細な記録は残っていません。通仙散の完成までには、母親の中毒死や妻の失明という多大な犠牲がありましたが、完成後は多くの人を救ったのでした。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●フィアットがクライスラーを買収してFCA設立

2014(平成26)年のこの日、フィアットが経営不振に陥っていたクライスラーを買収してFCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)として上場、新たなスタートを切りました。統合によって、FCAは当時の販売規模で世界第7位となり、クライスラーはアルファロメオランチアマセラティなどとともにFCAの完全子会社となりました。そして、今年2021年1月16日には、そのFCAがプジョーを中心としたグループPSAと統合して新会社「ステランティス」を設立、14ブランドを扱う世界第4位の多国籍自動車メーカーになりました。

●FF化で設計を一新した5代目サニー登場!

1981(昭和56)年のこの日、日産の5代目サニーがデビューしました。駆動方式がそれまでのFRからFFになり、車名が「ダットサン・サニー」から「日産・サニー」に変更されました。サニーは、日産の看板ファミリーカーであり、トヨタカローラとともに日本のモータリゼーションを牽引してきました。またFFへの変更は、室内空間が広くとれて軽量化にもつながることから、当時の小型車にとっては時代の潮流でした。

1981年発売の5代目サニー
1981年に発売された5代目サニー
1981年発売の5代目サニーの後ろ外観、直線基調のシャープなハッチバック
5代目サニーの後ろ外観。直線基調のシャープなハッチバック

サニーは、FFのメリットを最大限に生かすためにすべての基本設計を見直しました。エンジンとトランスアクスルをフロント横置きとし、ワイドトレッド化&ロングホイールベース化することでクラストップの室内空間を実現。スラントノーズと傾斜の強いフロントガラスで構成された直線基調の4ドアセダンをメインに、スタイリッシュなハッチバッククーペとカリフォルニアと呼ばれた5ドアワゴンという3種が用意されました。

1981年発売の5代目サニーの内装、チープと評判は良くなかった
5代目サニーの内装。「チープ」と評判はいまひとつだった

エンジンは1.3L&1.5Lの直4OHCエンジンに電子制御化された1.5L直4OHC。これに3速ATおよび4速/5速MTのトランスミッションが組み合わされました。熱効率に優れたエンジンと軽量ボディによって、燃費はクラストップを実現。さらに1982年にはサニー初のターボモデル「ターボルプリ」と、1.7Lのディーゼルモデルを追加して注目されました。

1981年発売の5代目サニーのワゴン「カリフォルニア」、若者に人気となった黄色ツートン
5代目サニーのワゴン「カリフォルニア」。若者に人気となった黄色ツートン

5代目サニーは、優れた走りと低燃費をアピールしましたが、室内空間が広い割には内装がシンプル過ぎて高級感に乏しかったためか、ライバルのカローラには販売面で水をあけられてしまいました。小型車にも重厚さや豪華さが求められた1980年代は、いかに機能で優れていても、高い評価を得られにくい時代だったのです。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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