ライト兄弟が仏を飛ぶ/日本初の心臓移植/日産スカイライン「ジャパン」登場!【今日は何の日?8月8日】

■ライト兄弟がル・マン近郊で初のデモフライトを実演

1903年ライト兄弟による初飛行 (C)Creative Commons
1903年ライト兄弟による初飛行 (C)Creative Commons

1908(明治41)年8月8日、ライト兄弟の兄ウィルバーがフランスのル・マン近くの競馬場で公開飛行を行いました。ライト兄弟が初めて飛行に成功したのは、1903年の12月17日。12秒間の飛行時間で飛行距離は37mでした。この時点では飛行機はまだ飛行が安定せず、用途については懐疑的な意見が多数を占めていましたが、5年を経て、フランスと商談がまとまる可能性が高まり、ル・マンでのデモ飛行が実現したようです。このフランスと翌年のニューヨークでの公開飛行によって、ライト兄弟の飛行機の評価は一気に高まりました。

運転免許証の臓器提供意思表示記入欄
運転免許証の臓器提供意思表示記入欄

また1968(昭和43)年のこの日、札幌医科大学病院で和田寿郎医師を中心とするチームによって、日本初の心臓移植手術が行われました。移植を受けた18歳の少年は、一時は歩けるまで回復しましたが、手術から83日後に亡くなりました。世界初の心臓移植は、前年の12月に南アフリカで行われましたが、患者はやはり18日後に亡くなりました。これを機に、移植手術の是非や脳死判定などが長く議論されましたが、1997年に「臓器移植法」が施行され、脳死と判定された人からの臓器移植が法的に認められました。以降、国内の移植手術が行われるようになり、2020年には54件の心臓移植手術が行われました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●日産のスカイラインに5代目ジャパン登場!

1977(昭和52)年のこの日、日産の5代目「スカイライン」がデビューしました。3代目の「ハコスカ」、4代目「ケンメリ」に続いて、5代目は「日本の風土が生んだ日本の名車」を目指して「ジャパン」のキャッチフレーズが与えられました。

1977年発売のスカイライン・ジャパン2000GT
1977年発売のスカイライン・ジャパン2000GT
1977年発売のスカイライン・ジャパン2000GT(Rear View)
1977年発売のスカイライン・ジャパン2000GT(Rear View)

「ケンとメリー愛のスカイライン」のCMに多くの若者が憧れ、空前の大ヒットとなったケンメリの後を継いだジャパンは、先代より直線基調でシャープなフォルムに変貌しました。ショートノーズの「TI(ツーリング・インターナショナル)」には1.6Lおよび1.8L SOHC、ロングノーズの「GTシリーズ」には2.0Lの直6気筒SOHCエンジンを搭載、1980年には2.0LにターボGTが追加設定されました。スカイライン・ジャパンは、ケンメリの勢いを減速させることなく、販売開始数年は年に15万台前後と好調な販売を記録しました。

1980年発売のスカイライン・ジャパンTurbo
1980年発売のスカイライン・ジャパンTurbo

当時のジャパンのライバルは、トヨタの「セリカ」。DOHCエンジンを搭載したセリカが放った「名ばかりのGT達は道を開ける」というキャッチフレーズが、SOHCエンジンのジャパンを挑発するようだと評判になりました。しかし、1980年にジャパンが2000GTターボを登場させ、今度はスカイラインが逆に「今、スカイラインを追うのは誰か」とやり返したのは有名な話です。

1977年発売の2代目セリカ
1977年発売の2代目セリカ

どちらがGTにふさわしいかは好みによりますが、販売台数でみればスカイラインはセリカを圧倒しました。かつては、名車には必ずライバルの名車が存在し、メーカーのプライドをかけてモータースポーツや販売競争などで熾烈な戦いをやっていましたね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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