目次
■東京で日本初の光化学スモッグが発生
1970(昭和45)年の7月18日、東京杉並区の高校でソフトボールの練習中に女子生徒が次々に倒れて救急車で運ばれる、という異常事態が発生しました。原因は、工場やクルマの排ガスなどに含まれる窒素酸化物(NOx)が紫外線によって化学反応を起こして発生する「光化学スモッグ」であることが判明しました。この頃から大気汚染防止法によってさまざまな規制、自動車については排ガス規制が段階的に強化され、現在は光化学スモッグが発生することはほとんどなくなりました。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●第1回全日本自動車クラブ選手権が開催
1965(昭和40)年7月、千葉県に船橋サーキットがオープンしました。そのオープニングレースとして7月18日、「第1回全日本自動車クラブ選手権」が開催。注目されたのは、ライバル車を操る2人の天才ドライバー「浮谷東次郎/トヨタスポーツ800」と「生沢徹/ホンダS500」の戦いでした。トラブルで後れを取った浮谷でしたが、トップの生沢を猛追、最後に大逆転して奇跡の優勝を果たします。この奇跡の逆転劇で世に浮谷とトヨタスポーツ800の名を轟かせますが、何と無念なことに翌月練習中の事故でこの世を去ってしまいます。
●ホンダシビックが初のモデルチェンジ!
1979(昭和54)年のこの日、ホンダが世界中で大ヒットとした初代シビックをモデルチェンジ、2代目シビックを発表。発売は、7月27日から始まりました。
初代シビックは、1972年(昭和47)年に2ドアファーストバックのコンパクトカーとしてデビュー、低燃費と小気味よい走りで人気となります。翌年には当時世界一厳しい排ガス規制(通称マスキー法)に世界で初めて適合したCVCCエンジンを搭載。これにより、人気は加速して一気に世界中に広がりました。
そして、大ヒットした初代のキープコンセプトで、通称“スーパーシビック”の名で登場したのが、2代目シビックです。ひと回り大きくなったボディと厚みあるバンパー、メッキ枠の中に配した丸目ヘッドライトなど、初代のイメージを残しながらもより上質感を漂わせるフォルムに変貌しました。搭載エンジンは、1.3L SOHC CVCCエンジン、および最高出力80PSと85PSの1.5L SOHC CVCCエンジンが用意されました。
2代目シビックは、初代をブラッシュアップしたことが売りでしたが、他メーカーの追い上げも厳しくなり、新鮮味に欠けた2代目の人気は期待通りには得られませんでした。
人気モデルの次期車は、どうしても保守的になってしまう傾向があり、人気が出ないということがよくありますね。ちなみに一見すると別のクルマと思われた3代目は、再び大ヒットしました。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)