■明石原人の骨を発見?真実は戦火で闇の中へ
1885(明治18)年4月18日、現在の特許法の前身にあたる「専売特許条例」が公布されたことを記念して制定されました。初めて認められた特許は7件で、第1号は「漆による錆止め塗料」でした。世界的にみれば、エジソンの蓄音機やライト兄弟の飛行機も特許を取得しています。
また、1931(昭和6)年のこの日、アマチュア考古学者の直良信夫が兵庫県明石市の海岸で「明石原人」の腰骨の化石を発見しました。しかし、骨は戦火で消失してしまい、その後原人説を否定する多くの見解が噴出。結局真実は解明できないまま、明石原人の存在は根拠のない大発見となってしまいました。今だったら、DNA判定でハッキリできたのでないでしょうか。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
1997年(平成9)年4月18日、日本を代表するトヨタの最高級車「センチュリー」がフルモデルチェンジして2代目が登場しました。
初代センチュリーは、1967(昭和42)年に豊田佐吉の生誕100周年と明治100年を記念して発売されました。100年(1世紀)記念のモデルだから、センチュリーと命名されたのです。1965年に販売された日産「プレジデント」に対抗する形で登場し、主として会社幹部の社用車や政府要人のVIPカーとして利用されました。エンジンは、3LのV型8気筒に始まり、3.4L、4Lへと時代が求めた高級感に応じてパワーアップされました。
そして初代誕生から30年目の1997年に登場したのが、2代目センチュリーです。最大の特長は、新開発された5LのV型12気筒エンジンです。V12エンジンは、日本の乗用車としては初めて、かつ最後の貴重なエンジンであり、滑らかで力強い走りを実現したことは言うまでもありません。ボディサイズは、5270/1890/1475mm(全長/全幅/全高)と最新のクラウン4890/1800/1460mmよりひと回り大きく、後席の広さや快適性など贅の限りを尽くした内装も注目です。もちろん安全性についても、安全衝突ボディを採用して6基のエアバッグを装備するなど、当時の先進技術を採用しています。ちなみに、車両価格は925万円でした。
センチュリーは、2006年から日産「プリンス」の後を継いで、天皇陛下や皇室の方々が使用する御料車となり、現在も皇室の移動で活躍しています。運転を楽しむクルマでなく、後席に深々と座って行きたいところに連れて行ってもらう、そんな贅沢なクルマですね。
毎日が何かの記念日。それではまた明日!
(Mr.ソラン)