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■市販車ベースのマシンでマン島の公道を300km/hを超えるスピードで競う
●ホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキの日本メーカー飛躍の礎となった伝統のレース
マン島TTレースは、英国のマン島の一般公道を使い、300km/hを超えるスピードで争われるタイムトライアルレースです。あまりに危険なレースなのでロードレース世界選手権(MotoGP)シリーズからは外れましたが、バイクレースでは歴史上大きな役割を果たしてきました。
2019年に100回の記念大会を迎えた、伝統あるマン島TTレースついて解説します。
●マン島TT(ツーリストトロフィー)レースの歴史
マン島TTレースの起源は、1907年まで遡ります。自動車やバイクが普及し始め、各メーカーはモータースポーツに積極的に参加することで技術力をアピールするようになりました。そのような中、1907年に英国マン島で世界が注目した「マン島TTレース」が開催されました。
当時のマン島TTレースは、周回25kmをモペットバイクのようなペダル付きのバイクで競うというレースでした。このレースのおかげで、英国にトライアンフやノートンのようなバイクメーカーが誕生して、バイク人気に火が付きました。
マン島TTレースは、第一次世界大戦と第二次世界大戦による中断がありましたが、再開後もスリルある激しいレース展開が人気となり、1949年にはロードレース選手権(WGP)に格上げされ、シリーズ第1戦に選ばれました。
ところが、1976年にWPGから外されました。金銭的に運営が厳しかった、サーキットレースが中心になり危険を伴うマン島TTレースがライダーから避けられるようになったのが主な理由です。これにより、世界選手権から英国のナショナルレースに実質格下げになりました。
それでも人気は衰えることなく、市販車ベースの熱い戦いで勇敢なレーサーが挑戦して勝利するというストーリーが出来上がり、今も別格の崇高なレースとして多くのモータ―スポーツファンに愛されています。
ちなみに、日本の国宝的レーシングドライバーである高橋国光さんも、2輪ライダー時代にマン島TTレースに挑戦していました。しかし1962年、決勝スタート後に転倒、意識不明となり生命も危ぶまれましたが無事に生還! ホント良かったです。
●マン島TTレースの凄さ
現在のマン島TTレースは、公道を使った1周60.72kmの放牧地帯が多い周回コースですが、民家や崖の傍、いくつかの街中も通過します。片道一車線なので、競技は一斉にスタートするのではなく、一定の間隔で1台ずつスタートして指定周回数をいかに速く走り切るかを競います。
現在の最上位クラスのスーパーバイクは、1周60.72kmを16分40秒前後、平均速度は約218km/hで周回し、瞬間最高速度は330km/hに達します。
カテゴリーは、基本的にSBK(スーパーバイク世界選手権)に準じて次の6つに分けられています。
・スーパーバイクTT:1Lクラスのスーパースポーツの改造OK(SBKと同じ)
・スーパースポーツTT:600ccクラスのスーパースポーツの改造OK(SBKと同じ)
・スーパーストックTT:1Lクラスで改造範囲が厳しく制限(スーパーストック1000)
・ライトウェイトTT:2気筒650cc以下
・TT Zero:電動バイクのみ
・シニアTT:スーパーバイククラスの予選通過者のみ参加可能
●日本メーカーの挑戦の歴史
マン島TTレースと日本バイクメーカーとの関わりは強く、特に有名なのはホンダの挑戦です。
ホンダの創業者である本田宗一郎が、マン島TTレースへの参戦を1954年に宣言し、1959年に初挑戦、そして1961年には125/250ccクラスで悲願の優勝を果たしました。その後、1966年に50~500ccまでの全クラスを制覇し、ホンダの名を世界に轟かせました。
スズキも1962年の50ccクラスで初優勝し、ホンダとの熾烈な戦いを繰り広げて1963年の50ccクラスでは伊藤光夫が日本人ライダーとして初優勝するという快挙を成し遂げました。ヤマハは1965年、1966年と125ccクラスでホンダ、スズキを抑えて連覇、カワサキは1975年最高峰クラスで優勝するなど、当時は日本メーカーの独壇場でした。
現在も日本メーカーは強いですが、マシンよりもライダーの技術が問われる大会と言われています。
1907年から2013年までにマン島TTレースで亡くなったレーサーは240人を超えます。それだけリスクの高いレースだからこそ、限界に挑戦する人間の本能を駆り立てるのかもしれません。これが、いくつもの名勝負や名レーサーが生まれ、崇高なレースと言われる由縁かもしれません。