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■バブル景気の予兆じわじわと。
新型7代目フェアレディZプロトタイプ発表を機に始めた 歴代Z 解説。4回目の今回は、いわゆるバブル景気の少し前、いよいよ日本が勢いづき始める1983年に生まれた3代目Z31型を振り返ります。
■3代目フェアレディZ (Z31型・1983(昭和58)年9月)
日本の自動車メーカーにとって、「昭和50年」「昭和51年」「昭和53年」の排出ガス規制対応に追われた1970年代末あたりまでの時期というのは、地獄のような時代で、出口の見えない暗い暗いトンネルの中を手探りで歩いているようなものでした。しかし1977~78年頃にはひと筋の光明を見出し、新しい触媒や電子制御技術に助けられながら一応の目途をつけることができました。
そして迎えた1980年代。いまにして思えば、暗闇の彼方に輝く1点の光をめざしてたどり着いたトンネル出口の先にあったのは、クルマが再びパワー競争に明け暮れ、よりゴージャスになろうとする新時代への扉だったのです。
1983(昭和58)年9月、3代目フェアレディZ発売。
このクルマの発売が1983年なら、その計画が始動したのはおそらく2代目S130発売から半年後、1979年が明けた頃でしょう。
「どうだい、排ガス規制も何とか落ち着いたことだし、ここいらでいっちょ、培ったクリーン技術と出番待ちの最新技術をフル動員して、新しいラグジュアリーツアラーを造ってみようじゃないか・・・」
そんな開発首脳のかけ声の下で造られた筆頭が初代ソアラ(トヨタ・1981年)なら、その日産版がひと足先行した初代レパード・・・ではなく、むしろこの3代目フェアレディZのような気がしてなりません。
型式名は、S30、S130に続くS230かと思いきや、心機一転・Z31なる符号が与えられました。
エクステリアから見ると、まずはヘッドランプが規格丸型と別れを告げた、モーター駆動のセミリトラクタブル式になりました。リッドとランプが一体で回転しながらまばたきするのではなく、平行リンクで固定されたランプが、リッドを押し上げながら上下に平行移動する仕掛けで、回転式で起きがちな、停止位置誤差による光束変化がないのがメリット・・・いわく「パラレルライジングヘッドランプ」。大きな目的は空気抵抗の低減です。
だいたい、各社がCd値の低さを訴求ポイントにし始めたのはこの頃で、Z31もその例に漏れず、カタログや資料でCd値を声高にアピールしているのは過去2代と異なるところです。
開発命題は「250km/h走行に耐えること」。そのために掲げられたZ31の目標Cd値(Coefficient drug・空気抵抗係数)は0.31・・・旧S130の0.36から格段に低減されました。
ライトの格納法が変わっただけでできることではありません。フード先端を低く(そのためにラジエーターを前傾して搭載)、サイドから裾まで一体にしたバンパー/エアダムスカート、フロントガラスの後傾角増大(31度から28度へ)、ワイパーのコンシールド化、そしてボディばかりかアルミホイールまで含めてのフラッシュサーフェス化・・・これらの複合効果で達成された0.31だったのです。
そのエアロダイナミクス完成を優先させたためでしょうか、S130発表時と異なり、Z31はひとまずクローズドボディ1本で出発し、売りのTバールーフ車は翌1984(昭和59)年2月までのお預けとなりました。考えてみたら、空力イメージを崩さぬままのTバールーフも本元の完成ありきでできるわけで、クローズド型とTバールーフの開発を安易に並行させなかったところに、開発陣のエアロボディへの本気度がうかがえようというもの。そして初代のスポーツカー思想が代を進めるごとに薄れ、世界に通用する、空力特性重視の高速型グランドツアラーにキャラクターを変えてきたことがわかります。
内装の仕上がりは、Z31開発途中(だったに違いない)に発売された初代ソアラに触発されたのか、もともとそのつもりだったのか、初代はもちろんのこと、2代目S130から比べると格段に向上しました。S130とて安っぽいところは皆無でしたが、インストルメントパネル(以下、インパネ)やシート(と生地素材)、トリム部品にカーペット類・・・写真で見ても実車同士を比べてみても、70年代(末とはいえ)と80年代の差は明白です。
インパネ新旧を、大まかな目で比べてみるとレイアウトは似たり寄ったり。しかしつぶさに見れば使用性向上を図った改良を入れていることがわかります。
まず各メーター径が大きくなって見やすくなったこと、空調吹き出し口サイズが拡大していることが目立った改良点。
中央の3連メーターは時計が空調パネルの左に引っ越して2連に減りました。
メーター脇にスイッチを並べるという、この頃流行中のレイアウトを起用。他社でいう「サテライトスイッチ」で、いすゞがピアッツァやその後のFFジェミニで見せたお得意芸でしたが、Z31では「インスト集中クラスタースイッチ」と呼称し、メーター左に上からリヤ熱線、駐車灯、リヤワイパーの、右には上からライトのリトラクト、ハザード、クルーズコントロール(日産名・ASCD)の各スイッチを並べました。
S130解説では電子化が進んだと書きましたが、Z31ではそれが加速しました。
3段階に切り替えられる「3ウェイアジャスタブルショックアブソーバー」、「雨滴感知式間欠オートワイパー」、本革シートとセットとなる「8ウェイパワーシート」、世界初を謳う「マイコン制御上下独立自動調整オートエアコン」など、聞いただけで興味が湧くようなデバイスがてんこ盛りでした。
型式の心機一転はエンジンラインナップが象徴しているでしょう。
全車V6ターボに徹し、直6とは一旦訣別しました・・・「一旦」と書いたのが意味深で、実は直6が後に復活します。
車種構成は基本的に4種で、下からZ、ZS、ZG、300ZX。下の3つに170psのVG20ET、最上級300ZXに230psのVG30ETが載せられました。すべての車種に2シーター、2 by 2がありましたが、全車5MTながら、ATは2シーターが300ZXのみ、2 by 2は上3つのZS、ZG、300ZXに用意されたのが少々ややこしいところです。
Z31開発中に現れたソアラの2.8L・170psは、当時の国産車で最高出力値。クルマ好きの少年なら誰もが「おおっ!」と感嘆したものですが、Z31の3L車の230psは、ソアラの2.8L・170psを超えようとしてはじき出した出力なのかも知れません。トヨタが直6の自然吸気2.8Lのツインカムで170psを先行すれば、日産は3LのV6、シングルカムにターボをくっつけて追撃・・・日産がソアラへの対抗心をレパードでではなく、Z31で燃やしたのではと思う根拠がここにあります。このあたりが新たな馬力競争の始まりで、各社排ガス規制で苦しんだ思い出はどこへやら、以後、90年前後までエスカレートしていきます。
余談ですが、この時代のTN(トヨタvs日産)の高出力競争は、トヨタが主にツインカム化で攻めた(ターボやスーパーチャージャーも手掛けないわけではなかった)のに対し、日産はターボ技術で応戦しました。国産初のターボ車を発売した日産なら当然の選択でしょう。日産のターボPR広告にあった「兄貴たちはパワーだけでターボに憧れた。僕たちはいま、燃費でもターボを選ぶ。」は、「高出力のためのターボ」という当局のにらみを回避する保護色として、秀逸なコピーフレーズだったと思います。
そしてまたまた余談。日産のエンジンが既存のものも含めて「PLASMA(プラズマ)」なる冠称が与えられたのはこのZのタイミングです。ある年代以上の人には懐かしいでしょう? 下はマーチ用のMA10から、サニー用のE、オースター/スタンザ/ブルーバード用のCAを挟んで高級車寄りのVG、L型まで・・・P(パワフル&エコノミック)、L(ライトウェイト)、A(アッカレート:精密な)、S(サイレント)、M(マイティ:力強い)、A(アドバンスド:先進的な)を並べた造語。うまい組み合わせを見つけたものです。
いつしかPLASMAネーミングが消えた後、90年代後半に「NEO(ニッサン・エコロジー・オリエンテッド)」の名称が生まれたとき、「おっ、『PLASMA』に代わる最新日産エンジンの新しいシリーズ名か!」と少しうれしくなったものですが、定着しなかったなあ。
【スペック】日産フェアレディZ 2シーター(Z31TR型・5MT・1983(昭和58)年9月)
●全長×全幅×全高:4335×1690×1295mm ●ホイールベース:2320mm ●トレッド 前/後:1415/1435mm ●最低地上高:150mm ●車両重量:1160kg ●乗車定員:2名 ●最小回転半径:4.9m ●タイヤサイズ:195/70HR14 ●エンジン:VG20ET(水冷V型6気筒 SOHC ターボ付) ●総排気量:1998cc ●圧縮比:8.0 ●最高出力:170ps/6000rpm ●最大トルク:22.0kgm/4000rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L(レギュラー) ●サスペンション 前/後:独立懸架ストラット式/独立懸架セミトレーリングアーム式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格):195万円
【スペック】日産フェアレディ300ZX 2by2(HGZ31型・4AT・1983(昭和58)年9月)
●全長×全幅×全高:4535×1725×1310mm ●ホイールベース:2520mm ●トレッド 前/後:1415/1435mm ●最低地上高:150mm ●車両重量:1370kg ●乗車定員:4名 ●最小回転半径:5.3m ●タイヤサイズ:215/60R15 ●エンジン:VG30ET(水冷V型6気筒 SOHC ターボ付) ●総排気量:2960cc ●圧縮比:7.8 ●最高出力:230ps/5200rpm ●最大トルク:34.0kgm/3600rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L(レギュラー) ●サスペンション 前/後:独立懸架ストラット式/独立懸架セミトレーリングアーム式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格):331万円
■直6が世界初・セラミックターボ付きのRBで復活・200ZR(1985(昭和60)年10月)
いちど廃止されていた直6のZが、Z31登場から2年を経て復活しました。「RB型」「ツインカム」「世界初のセラミックターボ」という、Zにとっては初ものづくしでの復活です。
この時点で日産直6の主流は設計の古いL型からRB型に置き換わっており、当時のスカイライン、ローレル、セドリック/グロリアなどに搭載されていました。これら上級車群からRBをZも拝借、その2L版RB20をツインカム化、セラミックターボ化した「RB20DET」を載せるZは「200ZR」を名乗ります。
詳細は省きますが、端的に述べると、タービン羽根をセラミック製にして軽量化することで回転の立ち上がりを(時間的に)早め、いわゆるターボラグを小さくしたのがメリットです(コンプレッサー側はアルミ合金製、タービンとコンプレッサーをつなぐシャフトはスチール製)。
【スペック】日産フェアレディ200ZR-Ⅰ 2シーター(5MT・1985(昭和60)年10月)
●全長×全幅×全高:4335×1690×1295mm ●ホイールベース:2320mm ●トレッド 前/後:1415/1435mm ●車両重量:1280kg ●乗車定員:2名 ●タイヤサイズ:215/60R15 ●エンジン:RB20DET(水冷直列6気筒 DOHC ターボ付) ●総排気量:1998cc ●圧縮比:8.5 ●最高出力:180ps/6400rpm ●最大トルク:23.0kgm/3600rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L ●サスペンション 前/後:独立懸架ストラット式/独立懸架セミトレーリングアーム式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格):292万円