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■他社に先行してEVやPHEVの量産化を実現
●ルノー・日産との協業の中で存在感を示せるかが問われている
三菱重工の自動車部門から始まった三菱自動車は、2000年以前はパジェロなど個性的なモデルで存在感を示していましたが、2000年以降は低迷が続き、2016年に日産の傘下に入りました。
ルノー・日産との協業のメリットを生かした開発が期待される三菱自動車のこれまでの歩みについて、解説していきます。
●会社概要と業績(2019.12現在)
三菱自動車は、1970年に三菱重工の自動車部門が独立して設立されました。
・会社名:三菱自動車工業株式会社
・代表取社長兼CEO:加藤隆雄
・創立:1970年
・資本金(2019.3現在):284億3820万円
・従業員数(2019.3現在):連結3万1314人、単独1万4171人
・売上高:2兆5146億円(2018.4~2019.3)
・生産台数:123万台(2019.1~2019.12)
●起源
三菱自動車は、三菱グループに属する自動車メーカーで三菱財閥の流れを汲みます。
三菱財閥は、1870年岩崎弥太郎が土佐藩の運営する土佐商会を独立させ、九十九商会と改称したのが始まりです。
1917年に三菱造船を設立し、三菱A型乗用車の開発を開始。その後、1934年に三菱重工業に名称変更し、1970年に自動車部門を独立させて三菱自動車工業が設立されました。
●メーカーとしての歩み
トラックは自社開発していましたが、ジープや乗用車は海外メーカーのモデルをノックダウン生産していました。初めてオリジナルの乗用車を生産したのは、1960年の三菱500でした。
スポーツタイプのGTOやラリーで活躍したコルトやランサー、パリダカで活躍したパジェロなどの順調にヒット車を生み出しました。
2000年、三菱はダイムラー・クライスラーからの出資を受けて、資本提携を結びました。しかし、リコール隠しなどの問題から、2004年には提携関係が解消されました。
その後提携先を模索してPSAとの関係を強化した時期もありましたが、2011年に日産と軽自動車の共同開発を進めるためNMKVを設立しました。
ところが、2016年に燃費不正問題が発覚して大打撃を受け、日産が資本参入して筆頭株主になり日産の傘下に入りました。
●往年の代表的なモデル
自社初のオリジナル乗用車の三菱600を発売したのは、まだ三菱重工の自動車部門であった1960年でした。ここから、三菱自動車のラインナップ拡充が始まりました。
・1962年軽自動車のミニカ、1964年に高級車デボネアを発売
・1969年には、ミドルセダンのコルトギャランを発売
・1973年、サザンクロスラリーやサファリラリーで大活躍した大衆車ランサーが登場
・1976年、ミドルセダンのギャランΣとハードトップのギャランΛを投入してヒット
その後も三菱車のフルラインナップ攻勢は順調に続きます。
・1978年、世界戦略車の小型ハッチバックのミラージュを発売
・1979年、長く人気を維持しているワンボックスデリカが登場
・1982年には、後にパリダカ―ルラリーで大活躍し、クロカン4WDブームの火付け役となったパジェロが登場
・1986年には、高性能と環境性能を両立させたスポーツタイプのスタリオンを発売
●最近の代表的モデル
1990年代のバブル崩壊時も、積極的に新車を投入しました。
・1990年のミニカトッポ、高級セダンのディアマンテ、GTOを、1991年にはRVRを発売
・1992年、ランエボ(ランサーエボリューション)が登場。WRCで大活躍し、現在もランエボは走り屋の憧れのクルマ
・1996年、GDI(ガソリン直噴)エンジン搭載のギャランおよびレグナムを発売、量産初のリーンバーン直噴エンジンとして注目されるが、信頼性や排ガス対応などの課題が克服できず短期間で撤退
リコール隠し発覚後は、新車投入はぺースダウンしたが革新的な電動車モデルも市場に投入
・2009年、他社に先駆け量産EVの軽自動車i-MiEVを投入
・2012年、プラグインハイブリッドのアウトランダーPHEV投入
三菱といえば、古いファンにはサファリラリーなどで活躍したランサー、パリダカのパジェロ、WRCのランエボなどを思い浮かべるかもしれません。
最近は、EVやPHEVなど環境技術対応に注力していますが、ルノー・日産・三菱の3社連合の中で、三菱の存在感を示したクルマづくりが求められています。
(Mr.ソラン)