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■日本のモータリゼーションの火付け役は、政府が提唱した「国民車構想」
●トヨタ・クラウンの登場を契機に日産、ホンダなど各社から新型車が登場
第二次世界大戦で自動車産業は一時的に停滞しましたが、復興とともに戦前の勢いを取り戻しました。1950年~1960年代にかけ、現在も名車として称えられる多くのスポーツカーが登場し、一方で大衆を対象にしたファミリーカーも増え始めました。
戦後から1960年代にかけて急速に進化したクルマと自動車産業について、解説していきます。
●戦後の復興と自動車産業
第二次世界大戦の影響で一旦停滞した自動車産業ですが、世界経済の復興とともに工業化の核として再び注目が集まりました。
特に1938年に生産が始まった「フォルクスワーゲン・タイプ1」は、機能性の高さや低価格によって世界中で人気を得ました。
1950年代には、大排気量エンジンを搭載した豪華なアメリカ車、いわゆる「アメ車」が人々の憧れの的になり、エアサスペンションやパワーステアリングなどの新しい技術の開発も進みました。
エンジン技術としてV型エンジンやDOHC機構が開発されたのもこの時期です。
1960年代に入るとターボチャージャー付エンジンやロータリーエンジンも開発されました。
一方で安全に対する要求も高まり、衝突安全ボディやディスクブレーキ、3点式シートベルトが実用化されました。
●代表的な外国のモデル
富裕層のためのクルマから、「大衆車」というカテゴリーを確立した「フォルクスワーゲン・タイプ1」に続き、ルノーがリアエンジンの「4CV」を、シトロエンが水冷2気筒エンジンの「2CV」を発売し、市場で高い評価を得ました。
1950年には、高性能車ランチア・アウレリアが登場しました。世界初のV型6気筒エンジンを搭載し、トランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルを採用しています。
1954年のメルセデス・ベンツ300LSが直列6気筒3.0Lエンジンで実現した最高出力215PSは、当時として圧倒的なパワーを発揮しました。
1963年にはスポーツカーの名車ポルシェ911が登場しました。空冷6気筒エンジンをリアに搭載するRRレイアウトで、その類まれな走りでポルシェの地位を不動にしました。
●代表的な日本のモデル
1955年、経産省が「国民車構想」を発表しました。
下記の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するという内容でした。
・定員4人もしくは2名+100kgの荷物を積載
・排気量350~500cc
・最高時速100km/h以上、車速60km/hで燃費30km/L
・大きな修理なしで10万km以上走行できる
実際には目標が高すぎ、自工会が達成不可能と表明するなどの理由で実行されずに終わりましたが、乗用車の国産化技術の進歩とモータリゼーションの火付け役としての役割は非常に大きかったと評価されています。
日本の自動車黎明期における代表的なモデルは、1955年のトヨタ・クラウンと1958年のスバル360です。
クラウンは純国産技術の専用設計で開発され、高度経済成長期が始まった日本で憧れのクルマになりました。スバル360は「てんとう虫」の愛称で爆発的に販売を伸ばしました。
クルマを持つことがステータスとなり、1962年のダットサン・フェアレディ、1963年のDOHCエンジン搭載のオープンスポーツカーS500、1965年のトヨタ・スポーツ800、1967年のトヨタ2000GTと、立て続けにスポーツカーが登場しました。
また、1966年のトヨタ・カローラの発売を機に、さまざまなファミリカーが市場に投入され、クルマが身近な存在になりました。
戦後から1960年代にかけては、人々はより速いクルマに憧れ、それに応える形で技術が進み、高性能車やスポーツカーの名車が生まれました。
一方で、実用的で多くの人の手に届くようなファミリーカーも増え、日本のモータリゼーションが本格的に始まった時期でもありました。
(Mr.ソラン)