マスキー法から始まった排ガス規制とオイルショック【マツダ100年史・第17回・第5章 その2】

【第17回・2020年7月17日公開】

1970年からの米国進出で成功を収めたロータリーエンジンですが、米国ではさらに厳しい「マスキー法」と呼ばれる排ガス規制が待ち受けていました。さらに追い打ちをかけるように、世界を震撼させた第1次オイルショック(原油高騰)が起こり、自動車では燃費が注目されるようになります。
ロータリーエンジンは高性能化の流れに乗って大きく飛躍しましたが、排ガス規制とオイルショックで大きな打撃を受けました。ロータリーエンジンの弱点である燃費の悪さがクローズアップされたからですが、これについても全力で取り組んで改良を推進しました

第5章 排ガス規制とオイルショック(ロータリーの歴史2)

その2.マスキー法から始まった排ガス規制とオイルショック

●方向転換が求められたマスキー法の制定

米国ではモータリゼーションの進展とともに、1950年代には環境汚染の問題が顕在化し始めていました。特に自動車が多いロサンゼルスでは、光化学スモッグによる健康被害が報告されるようになりました。
「光化学スモッグ」とは、大気中に放たれた排ガス成分のHC(炭化水素)やNOx(窒素酸化物)が紫外線によって光化学反応を起こし、大気が白くモヤがかかったような状態になることです。
このような状況下、アメリカの大気汚染防止法(クリーン・エア・アクト(1963年に施行))の大幅改訂版である、通称「マスキー法」が、1970(昭和45)年12月、エドモンド・S・マスキー上院議員による提案で制定されました。

これは、

1.1975年以降に販売する新型車のCO(一酸化炭素)、HCの排出レベルを、1970年型車の1/10にすること。

2.1976年以降に販売する新型車のNOxは、1971年型の1/10にまで低減すること。

3.5万マイル(約8万キロ)走る間、上記1.2.の性能を維持すること。

という、非常に厳しい排ガス規制でした。

この規制を世界で初めてクリアしたのは、1973(昭和48)年12月ホンダのCVCC(Compound Vortex Controlled Combution: 複合渦流調整燃焼方式)エンジンです。

シビックCVCC(1973(昭和48)年12月)。
初代ホンダ シビック(1972(昭和47)年7月から約1年半後に登場した、マスキー法クリア世界第1号のシビックCVCC(1973(昭和48)年12月)。

東洋工業も、翌1973(昭和48)年2月に2代目ルーチェのロータリーエンジンにサーマルリアクターを採用して規制をクリアしました。さらに、1973年5月には他社に先んじて日本の低公害車優遇税制に認定されました。
ただしマスキー法は、米国ビッグ3メーカーの反対や第1次オイルショックによる経済の混乱、自動車産業の低迷によって計画通り施行されず、実質的な法案の施行は1995年まで先送りされました。

2代目ルーチェ。
サーマルリアクターの搭載で規制を突破した2代目ルーチェ。

●世界を震撼させたオイルショック

1973(昭和48)年、世界経済を震撼させた「第1次オイルショック」が発生しました。
第4次中東戦争を機にアラブ産油国が原油の減産と大幅な値上げを行い、世界的な経済不況が起こりました。
日本の自動車業界では、ガソリン価格の高騰と石油資材(鉄鋼金属、化成品、ゴムなど)の値上げに伴う車両価格の上昇によって、販売台数が大きく落ち込みました。ガソリン価格は60円台から120円台へと、一気に2倍にまで膨れ上がります。
世界的なガソリン価格の上昇によって、それまでの高出力志向のクルマに代わり、燃費の良いコンパクトカーが注目され、米国市場では安価で燃費の良い日本車の販売が急伸していったのでした。

●ロータリーエンジンに対するオイルショックの逆風

東洋工業は、高性能なロータリーエンジンをアピールして1970(昭和45)年から米国に進出し、ハイウェイ走行中心の米国で大ヒットしました。しかし1973(昭和48)年の第1次オイルショックで状況は一変しました。
日本の自動車メーカーの中でも特に大きな打撃を受けたのが東洋工業でした。
ロータリーエンジンの排ガス性能は、サーマルリアクターという排ガス低減技術によって低いレベルを達成しましたが、燃費はレシプロエンジンより大きく劣っていたからです。
この結果、米国ではロータリーエンジン車の在庫が増え続け、国内でも販売は3割近く落ち込んでしまいました。
このような状況の巻き返しを図るため、東洋工業は1974(昭和49)年1月に「フェニックス計画」を発表しました。ロータリーエンジンの燃費を翌年秋までに燃費を40%改善するという大胆な計画でした。

(Mr.ソラン)

第18回につづく。


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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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