■真のデザイナーは、ハンス・ムートではなかった!?
GSX750S/GSX1100Sカタナに18年間乗り続け、オーナーズクラブの副会長も努めた人物が、自らの経験と多くの人へのインタビューから「カタナ」というバイクについて考察する。
80年初頭、ターゲット・デザインではデザインスケッチを元に着々とED-2のモックアップが作られていた。
デザインスケッチを元に実際のフレームにタンクやカウルなどの外装を造形。平面から立体にしていく課程で生じる面の交わりなども確認していく。
前回の記事では、多くのED-2のデザインスケッチを見ていただいた。そこに記入されているサインがすべてジャン・フェルストロムであることにお気付きだろうか。また、今回の記事を執筆するにあたりコンタクトを取っているターゲット・デザインの代表、ハンス・ゲオルグ・カステンさんも、ED-2(GSX1100Sカタナ)の基本デザインを生み出したのはジャン・フェルストロムと語られている。もちろんターゲット・デザインの他のメンバー(カステンとハンス・ムート)も優秀なプロダクトデザイナーなので協力したはずだ。それを加味してもED-2はターゲット・デザインの作品だと言える。
ところが日本でGSX1100Sカタナがデビューしたときターゲット・デザインの名は伝わらなかった。それはなぜだろうか?
その理由は、推測ではあるがいくつか考えられる。
ひとつはターゲット・デザインとスズキの間に立って渉外にあたっていたハンス・ムートの存在である。スズキ側にしてみればED-2のデザインを持ち込み、その後も打ち合わせを行ったのは主にハンス・ムートだ。そのため、その向こう側にターゲット・デザインがあることが見えなかったのではないだろうか。ネットも無い時代なので確認の方法もなかったであろう。またED-2のデザインのインパクトが大きすぎたゆえにそれ以上は気が回らなかったのかも知れない。
そして世間一般にハンス・ムートの名前だけが広まった元になったのは、GSX750S1カタナのカタログに記載されたコピーと文章であろう。
以下に内容を記す。
「私のイメージに、ここまで忠実なマシンは初めてだ。ーH・ムート」
私は、依頼された新しいモーターサイクルをデザインするとき、日本人の偉大な文化遺産とも言える“刀”をイメージコンセプトとした。“刀”は、その機能としての剛性と柔軟性を両立させながら、絶え間なく「美」を追求して進化したものである。このメカニカルな正確さと「美」の追求は、モーターサイクルを革新していく思想と同一のものである。あえて「機能を害するデザインであってはならない」と言わしめたスズキのプロダクトの方針も、何らこのコンセプトから逸脱するものではない。
その成果は、あなたがGSX750Sの姿を目にすれば、きっと納得していただけるものと確信する。研ぎすまされたシャープさのなかの美しさと、コンパクトに仕上げられた機能的なライン。幾多の風洞実験を経て空力性能を極めたフォルムは、TSCCエンジンのハイパフォーマンスや、数々の優れたメカニズムの性能を、ディテールまで損なうことなく存分に引き出せるものである。これは、私の理想とするモーターサイクルの姿を具現化した、スーパースポーツの究極のモデルだ。
これを読んだ多くの人はハンス・ムートがデザインしたと思うだろう。
この文章は誰かがハンス・ムートにインタビューし書き起こしたのか、本人が文章を寄稿したのかなどの詳細は不明。そのため誰かの意図が入ったのかどうかも今となってはわからないのだが。
そして当時、一般ライダーにとって最大の情報源であるバイク雑誌の多くも彼をデザイナーだと表現していたことが広まった理由であることも付け加えておきたい。
話は前後するが、1980年の夏頃、ついにターゲット・デザインが作り上げたED-2のモックアップがスズキ本社に持ち込まれた。
そのときの関係者の反応は…。
(横田和彦)