●偉人だらけの「自動車業界絵巻」が無料で聞ける勉強会が9月2日開催
日本の自動車メーカーとともに歩んできたジャーナリストの団体が、日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)です。
ことし2019年は50周年という大きな節目です。つい先日、日産GT-Rと東名高速開通どちらも50周年も祝っていましたが、AJAJが重ねた半世紀という歴史は途方も無く感じます。
そのアニバーサリーを記念して催されているのが「公開勉強会」。一般向けに、モータージャーナリストの生き字引というべき存在、山口京一さんに存分に語っていただくという場です。
「今だから聞けるハナシ」と題したこの会ですが、これまで2回開催されていますが第3回は9月2日に東京お台場・MEGA WEBにて行われる予定です。
どのようなトークが繰り広げられるのか、ここでは5月31日に行われた第2回の模様をダイジェストでお届けしましょう。場所はマツダR&Dセンター横浜で行われただけに、ロータリーにまつわる秘話が飛び出しまくりでした。
トークテーマは「絆──人・陸・空・水」。航空業界にも身を置いていた山京さんは先日亡くなったニキ・ラウダさんに思いをはせます。
F1パイロットを経て自身の名を冠した航空会社を興したニキ・ラウダさん。1976年8月1日に起こったレース中の事故は、当時の世間に衝撃を与えたといいます。
当日モデレーターを務められていた中村考仁さんいわく「ちょうどモントリオール五輪の真っ最中でしたが、臨時ニュースが流れ、五輪中継が中止されて事故の模様が流された」とのこと。
山京さんがのちにニキ・ラウダさんにこうたずねたそうです。「大やけどを負ったが、あなたは整形できたはずなのにしなかった。なぜ手術しなかったんですか?」
するとこう返ってきたそうです。
「これは自分の人生の記録なんだ。だからこれで生きていく」と。
ラウダ航空では、民間航空パイロットのライセンスも取得し、お客さんを乗せて飛んだこともあるニキ・ラウダさん。
バンコクの定期便で突如一番エンジンが逆噴射、乗客228人全員が亡くなった事故の際には、みずからボーイングと交渉して「シミュレーターで事故の再現をさせてくれ」と、自身が15回にわたって再現し原因を究明、再発防止に取り組んだそうです。
結論として、電子制御の誤作動により逆噴射したことが判明。パイロットが最終的に機体をコントロールできる仕組みを作ったそうです。
F1世界選手権を3度制しただけでなく航空業界にも大きな功績を残したのがニキ・ラウダさんなのでした。
戦後まもなくの「渡航不自由時代」を知る山京さん。当時はまだ、パスポートは1回の渡航ごとに発行されていたそうです。
1946年ころに活躍したボーイング377の時代は、軍用飛行機を民間に転用していました。またプロペラ機は後ろがファーストクラスだったそうです。その頃の呼び名といえば、ファーストにあたるのが「プレジデントスペシャル」で、エコノミーにあたるのが「レインボー」でした。
待望のジェットも就航しました。ロンドン行きの707の路線はホノルル~ロス~NYを経由して飛んでいました。
ボーイング314 Clipper飛行艇にまつわる秘話も明らかになります。その頃ボーイングで活躍していたエンジニアにビル・ミリケンという人物がいました。第一次世界大戦時に偉大なるエンジニアだったビルさんは、残念ながら社内闘争から同社を後にします。
そして航空機に比べまだ解析技術が発展途上だった自動車業界へと転じます。GMでは初代コルベットの開発を手伝ったといいます。
モータースポーツも大好きで、大胆なキャンバーを付けたレーシングカーも開発しました。アメリカ自動車技術界のメンバーとなった後も交流は続き、ビルさんが100歳になった時に彼の設計した変速機を搭載したクルマに試乗したそうです。
ようやく渡航自由化になった頃の1962~1964年は、山京さんはロンドンに駐在していました。その頃出会ったのが、かのアレックス・モールトン氏でした。
当時のイギリスは「クルマは作るものではなく、与えられるもの」というガチの階級社会。山京さんは自動車ジャーナリスト科のある学校に通っていました。その学校の先輩にL.J.セトラーという自動車ジャーナリストがいたそうです。亡くなった際には、タイム誌やガーディアン誌が哀悼の意を述べるほどの凄い人でした。
英「Car」誌のカーオブザイヤーの選考もやっていたようですが「該当なし」と平気で言い切ってしまうほど“つむじ曲がり”の御方だったようです。
その後、山京さんはPAN AM航空においてテロ・ハイジャック・事故対応のお仕事を担うことになります。
墜落事故も増えてきた時代です。日本ではあまり有名ではないですが、事故の起こる気象条件を指摘したのが、九州工大の教授、テッド藤田こと、藤田哲也さんでした。
急速にコンピューター化する時代でしたが、インプットをひとつ間違っただけで全システムがダウンするという、とてもリスキーな挑戦でした。
それでも、JFK空港のシステム化をなんとかやり遂げました。
その後、PAN AMの経営難もあり55歳で早期退職、本格的に自動車ジャーナリストの道にシフトします。
その頃はクライスラーなど大手メーカーもガスタービンエンジンに本気で取り組んでいました。
トヨタスポーツ800には発電用としてガスタービンを載せたモデルもありました。これは、初代センチュリーの主査だった中村健也さんが手がけたそうです。
1987年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー、トヨタGTVにも先行して乗ることができました。ターボエンジンのようなラグがあったようです。
その頃は「キノコ弁」という複雑な円運動を持つものなど、多様なエンジンが開発されていました。円盤が回転するようなバルブ構造のエンジンを作っていたのは、当時メルセデス・ベンツの航空部門だったダイムラー・ベンツだったそうです。
当時、もっとも効率がよいとされていたエンジン構成が「2ストローク・3バルブ」。
カリスマエンジニア、リカルド氏の助言でブリストル航空の空冷星型エンジンが3バルブ化されたそうです。
そんな当時、ブリストル航空ではたらいていたのがアレックス・モールトンでした。
1964年には、NSUヴァンケルが開発したロータリーエンジンの載ったスパイダーのメディア向け試乗会がありました。場所はグッドウッドサーキットでした。招く側も載る側も正装で、ネクタイを締めて試乗したそうです。
その後のローターリーエンジンは、4人のキーマンがいてこそ普及した、と山京さんは言います。
ひとりはエンジニアのフレックス・ヴァンケル、そしうNSUの社長、ゲルトフォン・ハイデカンプ。そしてNSUのウォルター・フローデ博士。
最後に日本人である、東洋工業(現マツダ)の松田恒次社長です。
丸いハウジングやクローバー型の燃焼室、四角いローターなど様々なトライが繰り返されました。
自動車メーカーは合併の時代です。独立性を求めるため、日本のマツダが選択したのがロータリーエンジンでした。その立役者になったのが、山本健一さんです。第二次世界大戦中に特攻機の生産監修をしたのちマツダに入社した山本さんは、松田社長から「ロータリー研究所を作れ」と命じられます。
当時としては左遷ととらえてもいい英断でしたが「この人に応えなければ私が生まれた意味はないと」発憤し、取り組みました。
マツダロータリーのルーツであるヴァンケル社も訪ねたこともある山京さん。その際は、FD型RX-7に乗って行ったそうです。
マツダからのライセンス料でR&D施設を作り、300ps級のロータリーエンジンを載せた水中翼艇や、ディーゼルのロータリー発電機も作っていました。これはガソリンと同じくスパークプラグを備えていたそうです。
ダイムラーベンツもロータリーを作っていました。ウォルフ・ディーター・ベンジンガー博士により4ローターが完成していました。
1973年には直列8気筒エンジン搭載のベンツ「C111」の試乗会がありました。その際に山京さんは、ロータリー工場の視察もしています。
その頃、3代目となるSLは、ロータリー搭載で話が進んでいたそうです。しかしエミッションがどうしても厳しく経営会議でNGになってしまいました。
GMも同様で、生産試作は終わっていましたが、市販されることはありませんでした。
軍用トラックも構想にあったそうです。
2010年には、アウディA1にe-tron REX Hybridのプロトタイプが発表されます。レンジエクステンダーとしてロータリーが使われていました。市販はされませんでしたが、そのパワーユニットをそのまま軍用に転用しよう、という話もあったようです。
ロールスロイスが“親亀・子亀”のような構造のロータリーを開発したり、ソビエトでは国民車ラーダに採用していました。このラーダにはマツダが正式に売り込んだのですが断られた経緯があり、どうやらコピーで作られたとの噂もあるようです。
日本のメーカーもライセンスを買っていました。日産も試乗会をやり、ダイハツも作っており、山京さんは試乗したことがあるそうです。
トヨタもサイドポート+直噴のロータリーを作っていました。産業技術記念館に展示されていました。120、130クラウンを手がけたチーフエンジニアの今泉さんが作ったそうです。
バイクでは、ジウジアーロデザインだったスズキの「RE5」がありましたが、重くて燃費もよくなかったため一代で終了しました。
ヤンマーは市販の船外機を出していました。混合気でローターを冷却するタイプでした。
ヤマハ発動機も二輪のコンセプトマシンを出していました。いすゞもかつて東京モーターショーにプロトタイプを出していたそうです。
いまでこそマツダのアイデンティティであるロータリーですが、こんな百花繚乱だったんですね。
1967年にコスモスポーツに搭載、1988年の米「ロード&トラック」誌はFC型RX-7を大特集しました。
ベンツのエンジニア、ベイジンガー博士がファミリアロータリーを手に入れて、そのトルク特性のよさに驚き、一般の人でも買えるロータリーができたことにいたく感動していたそうです。
オイルショック時は撤退する寸前でしたがなんとか踏ん張り、1980年のスパ24時間や1991年のル・マンの活躍に結びついていきました。
と、予定していた時間を忘れさせてくれるほどの、立て板に水のトークが続きました。
まさに自動車業界サーガ。。
そんな山京さんの語りおろしが聞けるのは9月2日(月)の夜。場所は、東京・お台場のMEGA WEBで行われる予定です。
詳細はAJAJのホームページをチェックしてみましょう。
【関連リンク】
日本自動車ジャーナリスト協会
https://www.ajaj.gr.jp/
Jack Yamaguchi’s auto speak 自動車ライタ―山口京一のmemoir
クルマ、飛行機、自転車もろもろ全般
https://gold.ap.teacup.com/yamakyoj/
マツダ・ロータリー誕生以前、ヴァンケル型ロータリーエンジンが世界の産業界に衝撃を与えた【RE追っかけ記-1】
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1964年マツダ・ロータリー誕生以前、世界初のロータリー搭載ヴァンケル・スパイダーに試乗! オーバーレヴ注意!!【RE追っかけ記-2】
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(畑澤清志)