街中でもドライビングトレーニング!?元F1ドライバー・井出有治を育てたマイカー5選

■ボロボロの軽…壊れかけのクラッチはレーシングカー並みにスタートが激ムズだった!

車両名:アルト(確かアルト?/年式不明/白/4MT)

カートからステップアップしF3へフル参戦する前なので21~22歳くらいだったか(1996~1997年)、知り合いから「捨ててもいいから」と譲り受けた軽自動車…たしかアルトだったと思うんですけど…4MTで、アレはヤバかったですねぇ。軽のアルトはトルクが無いのにレーシングカー並みの半クラが必要だったんですよ。重いとかじゃなく…ようはクラッチが終わってた!ってことなんですけどね。

このアルト、ホントにメチャクチャにスタートが難しかったんです。発進できないと後ろのクルマに怒られちゃうし、エンストさせないように緊張感なんか物凄くって! あれだけトルクなくて半クラもできず、かじった瞬間にエンスト! なのでかじらないように上手く動きだしを乗せるのが大変で、でもそのおかげでレースのスタートが上手くなっちゃった! しかも首都高で走るとスピード感が半端なかった~!

■デカくて重たいボディでロールする感覚を身につけたSUV系たち

車両名:エクストレイル(真っ赤でオートマ、FF、2Lターボ/サーフィンも行ってました)/サーフ(4WD)も乗りました

28~29歳(2003~2004年)くらいだったか、SUVっていうかクロカン系っていうかエクストレイルやサーフなどにも乗っていた時期があります。レースとしてはFormula Nippon(COSMO OIL TEAM CERUMO シリーズ5位/TEAM IMPUL)や全日本GT選手権シリーズ GT500(TEAM IMPUL)に乗っている頃ですね。「SUVのイメージは全くない!」ってclicccarやすのさんは言うんですけど、そう? 元サーファーとしては外せません!

エクストレイルは2.0LのFFでターボ付きの280ps。なんだかやたら速かったのをよく覚えています。たしか「2.0X」とかいうグレードだったよ~な…。

このSUV系では、大きくて重たいクルマがロールする感じの練習というか勉強になりましたね。車高も高いから、ロードスターのノーマルの足で柔らかく動くというのと違い、重いクルマの感覚ですね。面白かったですよ。

ボクは大体、基本クルマはノーマルで乗るんですけど、NISMOが「エクストレイルさぁ、ちょっと貸して!」って。その1週間後…車高は低くなり、タイヤは太くなり、ついでにボディにはNISMOのカッティングシートが貼られ、完全な「NISMO仕様」になって戻ってきて…ショックでした(笑)!

■国内トップフォーミュラで上位を争っていても、信号の度にスタートの練習!

車両名:フェアレディZ(Z33/白/6MT)

Z33は全日本GT選手権でIMPUL Zに乗っていた頃なので28~30歳くらい(2003~2005年)のとき、他のみんなはATに乗っていたけどボクだけは6MTをお願いして乗っていました。

もうこの頃になるとだいぶ運転が上手になっていたから(←上手のレベルが違いますけどね! clicccar注)、ロードスターやアルトでやっていた回転合わせなんかはZ33でやっても上手かったですよ!

Z33でよくやっていたのは信号の度にスタートの練習…といってもレーシングスタートではなく、クラッチを痛めないようなスタートの練習です。レースに必要な感覚のところで回転は上げずにクラッチをつなぐ練習。でも回転を上げないとエンストしやすいじゃないですか。しかも半クラが多いとクラッチを痛めちゃうし。なのでその間のところを使いながら、最初の10km/h、20km/hにもっていくところの練習ばっかりしていました。

今はメルセデスAクラスのATなのでできないですけど、2018年まで乗っていたBMW M3ではスタートやシフトチェンジのトレーニングは欠かしていませんでしたよ!

トップクラスのレーシングドライバー・井出有治さんでも、日々の中でドライビング・トレーニングをしているんですね! とか言いながら、教習所ではぜったいにマルをもらえないような運転(ヤバ過ぎて書けない!)もするんですよ~(笑)! さぁ、皆さんも今日から回転合わせ、壊れかけのクラッチでスタートの練習練習~!

(語り:井出 有治/文:永光 やすの/画像:NISMO・平野 陽・ASB電子雑誌書店・永光 やすの)

画像提供:レースとクルマの電子雑誌書店 ASB電子雑誌書店
https://www.as-books.jp/

【関連リンク】

井出有治オフィシャルサイト:yuji-ide.com
https://www.yuji-ide.com/

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
続きを見る
閉じる