日本の産業革命を支えた三池炭鉱・万田坑(熊本)【車中泊女子の全国縦断記】

●オトナの社会科見学!世界文化遺産の「三池炭鉱」を見学

三池炭鉱は『九州・山口の近代化産業遺産群』として2015年5月4日にイコモス(国際記念物遺跡会議)からユネスコへ世界遺産リストに記載勧告がなされ、同年7月の第39回世界遺産委員会にて世界文化遺産としての登録が決定しました。

【明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業】の23構成資産には、三池炭鉱 宮原(みやのはら)坑や万田(まんだ)坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡が含まれています。今回は、そのうちの万田坑をご紹介します。

万田坑 第一竪坑櫓は明治32年(1899)、第二竪坑櫓は明治41年(1908)に完成。これらの坑口施設の完成にともない、巻揚機室、汽罐場、選炭場、事務所などの諸施設が完成し、明治35年(1902)から出炭を開始しました。

まず【万田坑ステーション】にてチケットを購入。ボランティアガイドによる【定時ガイド】は、平日・休日に関わらず 10時〜、11時〜、12時〜、13時〜、14時〜、15時〜の6回行われています。万田坑ステーション館内資料室の案内が10分前くらいから始まりますので、早めの到着をおススメします。所要時間は約30分〜1時間。混み具合などで変わるようです。

また万田坑ステーション館内には資料室もあり、最盛期当時のジオラマや貴重な資料の数々、解説ビデオもご覧になれます。

隣接の【まるごとあらお物産館】では、万田坑オリジナルグッズ、荒尾の名菓や工芸品などのお土産が販売されています。カフェ併設、お食事などはありませんでした。

旧正門の脇に建っていた透かしパネルで、万田坑最盛期の昭和14年(1931)の風景と重ね合わせて撮影することができます。ちょっとズレてますが、こうしないと電柱が入ってしまうのです。煙突で隠しました。

坑夫たちが毎朝、無事を祈った山ノ神は国指定重要文化財。祭祀施設は砂岩、溶結凝灰岩製です。

万田坑は、佐藤健さん主演の映画【るろうに剣心・京都大火編】(2014年夏公開)のロケ地のひとつでもあります。ここで、江口洋介さん演じる斎藤一が煙草をふかしながら歩くシーンを撮ったそうです。その時の衣装が万田坑ステーション内の資料室に展示されています。

第二竪坑坑口。坑夫や資材の運搬に使用されていたケージ(昇降用エレベータ)が置いてあります。なんと25人乗り! 竪穴の深さは264mもあり、ぎゅうぎゅう詰めで一気に下ろされたと言います。

国指定重要文化財であり国指定史跡でもある鋼鉄製の第二竪坑櫓(背後)と、煉瓦造2階建ての第二竪坑巻揚機室。ヘルメットを着用し、内部を見学できます。

第二竪坑巻揚機室内には、ジャックエンジンやウインチなど三池製作所製の機械(巻揚機)がほぼ当初の状態のまま残っています。文献資料によると、坑内で使用する機械類は日本製のほか多くの外国製(イギリス、ドイツ、アメリカ、スイス)の機械が導入されていることが分かっていますが、戦時中にラベルを剥がしたり英字を削るなどしたそうです。

第二竪坑巻揚機室2階から見た風景。台形をした万田山は、左側が特に抉られたように岩肌が見えています。坑道を埋めるために万田山から土砂を削り出した結果、このような姿になったそうです。

三池炭鉱専用鉄道敷跡も残されています。

第二竪坑櫓の高さは18.8m。とても遺構とは思えないほど綺麗で頑丈そうです。現在は土台しか残っていない第一竪坑櫓は、この第二竪坑櫓のおよそ2倍もの大きさだったそうです。

三井三池炭鉱は戦後、日本の復興に大いに寄与しましたが、石油などへのエネルギーの転換や石炭の内外炭価格差などにより経営環境が悪化し、平成9年(1997)3月、官営創業時から数えて124年の歴史に幕を下ろし、閉山することとなりました。

栄枯盛衰を実感させる万田坑、その歴史の欠片を拾い集めるような感覚でした。

【三池炭鉱万田坑跡】
住所:熊本県荒尾市原万田200-2
電話:0968-57-9155
開館:9時30分〜17時(有料区域の入場は16時30分まで)
休館:月曜(月曜が祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月3日
駐車:大型バス5台、中型バス3台、乗用車72台

万田坑跡入場料:大人410円、高校生300円、小中学生200円、それ以下は無料。(『万田坑ステーション』『まるごとあらお物産館』は無料です。)

(松本しう周己)

この記事の著者

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松本しう周己

高校は美術科を卒業し、印刷会社のデザイン部に就職するも2年足らずで退職してフリーターに。主にコンサート・イベント関係で全国を駆け回る。その後、なぜかウェブデザインの道へ。仕事としては車との接点はまったくないが旅行好きでドライブ好き、20年前から道の駅などで車中泊していた。
「ネットを通して仕事ができれば、どこにいても構わないのでは」と、2005年、ついにキャンピングカーを自宅兼仕事場としてしまった。根は機械オンチなため、日進月歩の日々。
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