R33GT-R開発にあたっての最大のライバルは先代R32GT-Rです。ル・マンにも挑戦することも決まっていました。
目標タイムは、エクスペディアS07 を履いたV-specで8分2~3秒。バッテリーを後方に移設したり、燃料タンクを床下配置したり、オーバーハングにあったインタークーラー位置の見直しを行いながら、達成することができました。
テストドライバー加藤博義さんのアドバイスで、ボディ補強のレイアウトも何度もやりました。湿式多板クラッチを使ったアクティブLSDのセッティングも、最後まで加藤さんとともに悩みぬいたそうです。
R34GT-Rの開発スローガンは、「最新のGT-Rが最高のGT-R」でした。村山工場の生産設備を考慮しながら効率のいい車体剛性の上げ方を検討したそうです。
センシング技術が発達していったのもその頃で、ひずみ計を200個も取付け、徹底的に応力を計測したそうです。
空力を向上させるためのアドバンスドエアロシステムについては、その高価なパーツ代は保険屋さん泣かせだったそうです。
プレミアム感を向上させるためのアイテムだったコノリー社製のレザーシートについては、当初は「湾曲の強いバケットシートには向きません」と断られたそうです。ただ、粘り強く交渉することで、イギリス仕様は全車に採用となるなど実績をあげたそうです。
料理の世界の「味は三代」のように、三代続いて取り組んだ第二世代GT-Rの進化は、ヒューマニズムにあふれていました。
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クルマ塾 講演2 901活動とスカイラインへの織り込み 渡邉 衡三氏
(畑澤清志)