ここで、脱線します。日本のナナハン猛攻にさらされた英欧勢の反撃に触れましょう。BMWは、ノイエクラッセ=新クラス1500セダン、つづく2ドア・「02」シリーズの成功で、急成長メーカーとなります。そこに乗り込んだのが名うてのカーガイでバイク愛好者のオーストリア家系アメリカ人、ボブ・ラッツで2、4輪の商品企画を指揮します。
彼は、その後フォード・ヨーロッパ社長、クライスラー社長、GM副会長を歴任します。自動車では、02に巨大ターボをつけた2002 TURBO、CSを軽量化し大きなウイングをつけた3.0 CSLなるモンスターを放ちます。
これは、1973 年ミュンヘンでラッツに聞いた話です。ラッツ、BMW以前GM期には、ホンダCB750に乗っていたとバイク愛好者です。BMW水平対向2気筒シリーズは、/2と呼ぶ一新型に進化していました。ラッツ御大、2輪開発責任者に問いました。「ウチのバイクは、ドイツシェパードみたいに性能はいいが、外観は無骨だ。デザイナーは誰だ」返事は、「デザイナーはいません。やりたがってウルサイのが一人います」、「すぐ呼べ」現れたのが独フォード出身の若手インテリアデザイナー、ハンス・ムートでした。かくして生まれたのがビキニカウリングとグラデーション塗装のR90S、そして生産車最初のフルカウリングR100RSでした。
英トライアンフの日本車邀撃機はユニークでした。トライアンフ3気筒750ccをアメリカ人後付けカウリング製作者、クレイグ・ヴェッターに委託したのが、「トライアンフ・ハリケーン」で、ヴェッターはチョッパー的ネイキド・デザインを提案、限定生産します。
さて、GT750、RE5で苦労したスズキ逆襲の助っ人は、独立していたハンス・ムート。スズキ・“カタナ”が切り込みます。(つづく)
(山口 京一)