フォード傘下になって存亡の危機になったロータリーをどう復活させたか【マツダのレジェンドに学ぶ・第5回】

小早川隆治さん、福田成徳さん、貴島孝雄さんそれぞれの、貴重な基調講演をふまえたあとは、御三方を含めたフリートークへと移ります。モデレーターは山口京一さんです。

じつはこれまでは、皆さんが用意していただいた資料をベースに行われてきたトークでした。これはある意味、予定調和。来場者の皆さんが期待しているのは、どんな裏話が飛び出すかわからないフリートークです。ひと言も聞き逃してはならないという。

「危機があると燃える会社がマツダ」と評するのは山口京一さん。フォード傘下になった際、マーク・フィールズさんとも親交があった山口さんは、マツダのアイデンティティであるロータリーエンジンの必要性を、ジャーナリストの立場から訴えたそうです。

そのかいあって、フォードの役員もマツダの考え方を理解していくことになったそうです。それは「マツダ塾」と比喩されていたそうです。

小早川さんは、フォードの役員にレネシスエンジン搭載のプロトタイプを乗せてあげたことがロータリー存続の転機になったと邂逅します。

そしてたたみかけるように貴島さんが秘話を開陳します。当時、その試作車と作る予算が確保できなかったため、製作費3000万円を、NCロードスターの開発予算のなかにもぐりこませ、なんとか確保したそうです。

そしてようやくマーチン・リーチ氏にテストコースで乗せたところ、いつまでたっても戻ってこない。熱対策が未熟でブローしてしまっていたようです。それだけ回していたというこです。

ただこれがきっかけで「これはいい!」と、レネシス搭載のRX-8開発のGOサインが出たとのことです。

小早川さんも、リーチさんのパワフルさに驚いていました。試作車をアメリカに持ってこさせ、朝5時から夜10時まで徹底して乗って評価するというエネルギッシュな人だったそうです。

福田さんは、5チャンネル時代の仕事を振り返り「マツダという名前を使わないことで、新しいマーケットが広がるのではないか」ということで始めた5チャンネル体制ですが、同じシャーシを使って別のクルマを作るという作業は、やっていて本当に疲れました、と話します。

そして80年代末から、デザイン領域がコンピュータ化されることで、画面上で作ったものをモデル化して、それをさらにデータ化するという手間がかかっていたようです。

そして吉田由美さんから「もっともチャレンジングだったことを教えてください」というお題に、現役時代を振り返りながら御三方が答えてくれています。これもまたタメになるお話に満ちているので、動画を参照してください。

【動画はこちら】

https://www.youtube.com/watch?v=JkkrTzIwCC0

(畑澤清志)