EVやPHEVの「電気」を考える契機になった坂元中学校を再訪問し、電気について改めて考える【「EVスーパーセブン」で東北大震災被災地をめぐる旅・その3】

「EVスーパーセブンで元気と電気を届ける旅」、次の目的地は宮城県・亘理郡山元町にある坂元中学校。

実はここは私が震災直後、「日本自動車ジャーナリスト協会」のボランティア活動で行った場所のひとつ。坂元中は高台にあるので津波の被害を受けずに避難所になっていましたが、見覚えのある風景、校舎。当時は田んぼや畑に流された家や車がまだそのままの状態で、津波の脅威をくっきり残していましたが、現在は緑に覆われた田んぼに囲まれた長閑な風景に変身。

なぜ今回の旅でここが訪問先に加わっているのかといえば、当時、電気自動車「三菱i-MiEV」が被災地に寄付されたものの、「電気自動車なのになぜクルマから電気を取り出せないのか?」と当時の坂元中学の女性教員が言った言葉がきっかけとなり、三菱自動車では開発をはじめ「アウトランダーPHEV」には100Vのコンセントを2つ設定。また日本EVクラブも電気をもらうだけではなく、電気を与えたり、それを使ってなにかできないか?という話になったそうです。

それにしても私も思いがけず、7年後にまたこの地に来ることになるとは…。坂元中の武田義弘教頭先生の話によれば、現在、坂元中には66名の生徒が在籍しています。

 

その後に行ったのは、仙台空港近くの岩沼市「千年希望の丘公園」。東日本大震災の津波によって人が住めなくなった土地を活用し、沿岸部に約10㎞にもわたって6つの公園と丘が作られています。中でも「千年希望の丘相野釜公園」の広い敷地内には小高い丘が2つ。一番最初に作った避難用の丘は津波の高さより1m高い9m。階段で使われている木材は、被災した家の柱や梁を使用。ここは募金で作られたそうです。

そして2つ目の丘はさらに高い11m。災害時にはてっぺんに逃げ込むだけではなく、雨風を防げるようにカーテンのようなもので壁を作ることができます。また太陽光ソーラーシステムもあるので、携帯の充電などに電気を使用することもできます。敷地内には大きな慰霊碑と鎮魂の鐘。天皇皇后両陛下もここを訪れたとか。

また、防風林として松ではなく、背の低い木が植えられています。これまでの松は防風にはなりますが、根が弱いため津波の時に流された木が家などに刺さるなどして被害を大きくしたのだとか。そこで今回は根がしっかり張る強い木を植樹。また、ほかの木も企業などによって植樹されたもので、若々しい木々に囲まれた新しい公園ですが、非常事態には少しでも多くの命を守ってくれますようすくすく育ちますように。

そして夜はまたしても給電バーベキュー。その後、またしても「アウトランダーPHEV」で慰霊碑をライトアップしましたが、照らされた慰霊碑の姿は美しく、厳かな気持ちになりました。

お亡くなりになった方や被災した方すべてに祈りを込めて。