時代と共に生まれ変わるV-OPT。創刊スタッフのハチャメチャ振りとは?【Play Back the OPTION Spin off】

さて、そんなV-OPTが誕生したのは1988年。その年のオートサロン収録がメインだったと記憶しています。

それ以前、1987年も押し迫った頃、V-OPT企画が持ち上がった際、雑誌製作しかしていなかったV-OPT創刊スタッフへ、私の前職だったビデオ制作会社「メディック」の阿部社長にアドバイスを請いました。ビデオ制作に関するアレコレや機材のこと等々。結果、スチールカメラをビデオカメラに持ち替えればOKっしょ!?なんて感じのノリでしたね!

そんな感じからスタートしたV-OPTなので、ハチャメチャなのは当然! OPT誌取材時にはビデオカメラを担いだスタッフがゾロゾロ付いて回る、最初はそんな感じ。時には、長期間撮影になると取材先の方へビデオカメラと三脚を渡し、「あとは撮っておいて!」……なんてこともあったそう。ひど過ぎる〜(笑)

しかし、さすがは動画! 例えば谷田部の最高速テスト時。OPT誌では動きを感じさせる迫力あるバンク走行の写真は撮れても、そこに「音」はありません。チューナーが仕上げたスペシャルなチューニングカーをオートサロン等で間近に見ることはできても、全開で走っている「音」を聞くことはできません。

しかし、動画では実際に走っているので「音」を聞くことが可能なのです。なので、迫力度は紙のOPTよりビデオのほうが上。当初はちょっと悔しかった思いもありました。

写真では伝えにくい人物の面白さも、動画だと一目瞭然。そのトップが生配信でもスタジオ出演していただいた野村謙さん(ノムケン)でしょう。あの動き、喋り、そしてピカイチなドリフト技術! いか天(D1の前身)で初登場した時から、ノムケンさんは飛び抜けた面白さがありました。動画ならではの大スターを生みましたよね、V-OPTは!

あ、忘れてはいけません! 喋って面白いのはDaiちゃんや雨さん(RE雨宮自動車・雨宮勇美さん)も一緒です。まぁ、字幕を付けないと何喋っているのか分からないときも多々あり…なんですが(笑)。

V-OPT創刊号はVHSのビデオのみでした。ケースも簡易的なものではなく分厚いハードケースに入っていましたので保管に場所を要し(汗)。その中には後貼りするシールも入っていたりして。ちなみにV-OPT創刊当時、我が家には「ベータ(β)」のデッキしか無かったのですが(そんな時代です)、V-OPTを見るためにVHSデッキを買った、なんてこともありましたっけ。

その後、Vol.150辺りからはVHSとDVDとの併売からDVDに完全切り換えをし販売。そして、そのDVDも3/26発売のVol.289をもって終了。以降はyoutube配信のみとなりました。セル版として手元に置くことはできなくなりましたが、これも時代の流れなんですね。ちょっと寂しいですけど。

今後もハチャメチャで監視の目は大丈夫なんですか!? な内容がチョイ心配なV-OPTですが、毎週火曜日・木曜日には新作の配信を、月曜日・水曜日・金曜日にはアーカイブを配信と、今まで以上にハードなスケジュールなんじゃないの?と思われるYouTubeチャンネル「VIDEO OPTION CHANNEL」。チャンネル登録のうえ、今後も末永くお楽しみください!

あ、生配信はもっと研究が必要だと思いますよ〜…3/26生配信では音量や中継に難あり、でしたから!

【Play Back the OPTION Spin off】 永光やすの

【関連リンク】

VIDEO OPTION CHANNEL – YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCryItMG5CX-iF_7OzRTn9SA

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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