フットワークも決まって来た! ホンダ・シティミッド化計画・その4【OPTION 1983年10月号より】

以前、clicccar「Play Back The OPTION」で、改ミッドシップの特集記事「セルボ、ミラージュ、RX-7もエンジンは後ろへ! 無ければ作る、自作ミッドシップを作った勇者たち[前編]」「レビンやフロンテクーペも、無ければ作る! MR2誕生前夜、自作ミッドシップを作った勇者たち[後編]」を紹介しました。同じこの時代に、改ミッドシップに挑戦していた猛者たちに交じって紹介されたのが、今回ご紹介する記事です。

前回その3では、走ったとはいえセッティングに関してはまだまだ煮詰めが必要…ということで、今回の流れです。では、ドーゾ!

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ミッド・コーナリングを追求する実験車

改造プロダクション・ミッドの元祖、OPTシティはスペシャルパーツは多用せず、ノーマルパーツの流用でその骨格を成している。

基本形はFFのエンジン&ミッションをリヤへ平行移動しただけでミッドシップとしている。マウントにはサブフレームを製作していることはいうまでもない。また、エンジンのチューニングは一切行っておらず、MR化したことでどれだけの性能差が表れているかを知るには絶好の材料なのだ。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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