スーパーアイドル・近藤「マッチ」真彦の初レース記事…なのに、OPTの扱いは!?【OPTION1984年9月号より】

レース専門誌オートテクニック編集長・飯塚です。こんなに観客が集まりマスコミが取り上げるのはレース愛好家にとって好ましいことですね。しかし、日本のレース界におけるスターの不在館を痛感しました。

ホッチと一緒にコーチした柳田(セントラル)でーす! いや〜エクサで予選落ちしてヒヤヒヤもんだったけど、第2レースで通過してくれてホッとしたよ。ホント良かった、良かった、イヤ良かったホッ。

ボク、同じレースで優勝した小宮延雄です。予選の時「マッチをスリップで引っぱってくれ」って頼まれたけど、ボクまで(予選通過が)危なくなったんでやめました。

それにしてもマッチの人気にはタジタジしました。たったひとりでFISCOを3万人の観客で埋めるなんて凄い。まさにフレッシュマンレースがグラチャン並みだったんですから。楽しませてもらいました。

本格的に続けてくれると、レース人気も高まり、日本レース史の金字塔として永遠に語り継がれるんですけどね。これもホンネです。

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このレースを経験し、悔しさを噛みしめ、マッチはレースの世界にのめり込んでいったのでしょうね。サーキットにGALが押し寄せ、その異世界の方々に少しでもレースに興味を持っていただけたのはマッチのおかげ。

マッチも今では日本レース界のレジェンド・ドライバーのひとりです。

【OPTION 1984年9月号より】

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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