ドリフトは日本発祥のモータースポーツです。ドリフト走行を日本人があみ出したわけではもちろんありませんが、’80年代に日本の走り屋(ローリング族)のあいだで流行しました(その背景には、レースでドリフトを見せる土屋圭市氏の存在もありました)。
そして、初めてサーキットを借り切って合法的にドリフトコンテストを行ったのは、’89年に『CARBOY』誌が開催した『ドリコンGP』だとされています。
『ビデオオプション』が始めた『いかす走り屋チーム天国』は、それに追随したものですが、もっとも長く続いている大会です。そのほかにも’90年代はさまざまなドリフト大会が行われ、多くのスゴ腕ドリフターを輩出しました。
そして2001年(正確には第1回大会は2000年)、世界で初めてのプロドリフト選手権シリーズ『D1グランプリ』が始まったのです。
そう、ただの「走りのスタイル」にすぎなかったドリフトを、競技として成立させ、定着させたのは日本人なのです。なお、この『いか天』から『D1GP』まで、長らく審査員長を務めてきたのが土屋圭市氏です。ドリフトにスポーツ性を要求し、現代に至る審査基準を確立したのは土屋圭市氏の功績です(特に『追走方式』の発明は画期的だったといえますが、その話はまたいずれ)。
たぶん、アメリカ人もヨーロッパ人も、ドリフト走行自体は昔から好きだったと思います。ラリーとかダートオーバルとかは昔からあったし、なんたってドリフトはカッコいいですから。ただ、競技としては存在しなかった。
それが、オンロードで行われるドリフトを審査する競技が日本で確立され、おもにビデオによって伝わったことにより(2000年代前半は、まだYouTubeはなかった)、ドリフト競技が世界で行われるようになったのです。
若いひとは知らないかもしれませんが、いま世界各国で行われているドリフト競技の起源は疑いの余地もなく日本です。
とまあ、そんなわけで、第1回FIAインターコンチネンタル・ドリフティング・カップ2017の開催も日本で行われることになったようです。この大会、日本でもテレビ放映を予定しているほか、海外でも放映が予定されています。
今年はまだ「お試し大会」かもしれませんが、いずれは世界から本当のトップドライバーが集まり、本当の世界の頂点を決める大会に、あるいは世界を転戦するシリーズ戦になる可能性は高いでしょう。
なぜなら、世界各国で独自にドリフト大会が行われるようになってから一定の年月が経過した現在、世界一を決める大会を開催しようという気運は高まっていると考えられるからです。いま日本で戦っているトップドリフターは、さらにハイレベルな活躍の場を得ることができるかもしれません。
私は、日本のトップドリフターは、世界基準でいえば、もっと高い名誉と収入を得てもいいと思っています。もちろん、世界統一レギュレーションは、現在のD1とはちがうクルマ造りになっていくかもしれないし、現在とはちがう競技方法、採点方法になるかもしれませんが、ドリフト界にはまた大きな動きがありそうです。
(まめ蔵・写真提供:サンプロス)
【関連リンク】
FIA INTERCONTINENTAL DRIFTING CUP
http://www.fiadriftingcup.com