今シーズンの中で一番楽しみにしていたF1第6戦モナコGPが、いよいよ5月24日(木)に開幕しました! 通常金曜日から行われるフリー走行ですが、モナコGPは木曜日からスタート。そして金曜日は休息日で、土曜日予選・日曜日決勝というのが伝統のモナコスタイルです。
前回の記事では、モナコGPでマクラーレン・ホンダからスポット参戦するバトン選手のF1デビューまでの道のりを紹介しましたが、今回はF1での活躍を振り返ってみましょう!
バトン選手は2000年、20歳でBMW・ウィリアムズからF1デビューを果たしました。その後、ベネトン、ルノーを経て2003年にラッキー・ストライク・BAR・ホンダに移籍。そこからホンダ第3期終了の2008年までホンダのエースドライバーとして活躍してきました。
中でも記憶に残るのは、2006年ハンガリーGPで参戦115戦目で待望のF1初優勝を勝ち取ったこと! これはこの時点において、125戦のルーベンス・バリチェロ、119戦のヤルノ・トゥルーリに次いで、史上3番目に遅い初優勝でもありました。
また、表彰式では21世紀初の「君が代」が流れ、当時シニア・エンジニアリング・ディレクターだった中本修平さんが涙を流す姿に胸をうたれました。私がF1を好きになったきっかけのグランプリでもあります。
しかし2008年のシーズン終了後、ホンダがF1から撤退。バトン選手の今後がどうなるのか分からない不安な日々が過ぎていく中、2009年3月5日に撤退したホンダF1チームをチーム代表であるロス・ブラウンが買収し、新チーム「ブラウンGP」が誕生したのです。
ブラウンGPは開幕前のテストから他のチームを驚かす速さを見せつけ、バトン選手は第16戦ブラジルGPで最終戦を待たずして悲願のワールドチャンピオンを獲得! ずっと応援してきたドライバーがワールドチャンピオンになる瞬間は、言葉にならないほど嬉しいものでした。
ワールドチャンピオン獲得後、バッキンガム宮殿でエリザベス二世女王陛下からMBE(大英勲章第五位)を授けられたバトン選手は、2010年マクラーレンに移籍。2015年からマクラーレンはホンダとタッグを組み、再びホンダと共にF1で戦うこととなりました。
そして2016年のイタリアGPで「2017年のシートはストフェル・バンドーンに譲り、マクラーレン・ホンダのアンバサダーという役割に就く」という、言わば「引退宣言」を発表したのです。