F1オフシーズンといえば、例年、特にビックニュースもなく静かに時が過ぎていくことがほとんどでしたが、今回は違いました。
2016年悲願のワールドチャンピオンを獲得したニコ・ロズベルグ選手の電撃引退に始まり、バルテリ・ボッタス選手のメルセデスへの移籍、フェリペ・マッサ選手の引退撤回などなど。過去、ここまで目まぐるしいシーズンオフがあったのかと思ってしまうほど、たくさんのニュースが飛び交いましたね。
その中でも一番のビックニュース言えるのが、リバティ・メディアによるF1買収。そしてF1界の重鎮、バーニー・エクレストンがCEOのポジションを退き、新たに名誉職に就くことが正式に発表されたこと。
バーニーがF1界に残した功績と罪過を、2月16日(木)発売の「F1速報2017年シーズン展望号」で検証してみましょう。
■バーニー・エクレストンの功罪
バーニーは1970年代初めにブラハムを買収してチームオーナーになったが、当時F1はテレビ中継がほとんどなく、シーズンの全戦を放映するテレビ局もなかった。また、放映権の契約は一戦ごとで、プロモーターはその契約からわずかな収入しか得ていなかったのだ。しかし、76年の秋になると、イギリスとヨーロッパの一部の国々で、F1のテレビ中継への関心が急激に高まった。
その年の8月1日、ニキ・ラウダはニュルブルクリンクでクラッシュし、マシンが炎上するという大きなアクシデントに見舞われたが、驚くべきことに顔面の火傷ですっかり人相が変わったラウダは、7週間後にはレースに復帰する。
ラウダとジェームス・ハントのタイトル争いはシーズン最終戦である初開催の日本(F1世界選手権インジャパン)に持ち込まれ、彼らが富士スピードウェイに到着した時点で、ハントはラウダを3ポイント差まで追い込んでいた。そうした経緯があって、イギリスのBBC放送とヨーロッパのいくつかのテレビ局は、ぜひともこのレースを生中継で放送したいと考えたのだ。彼らは、当時まだ結成されてまもないFOCA(フォーミュラワン・コンストラクターズ・アソシエーション)と契約を交わし、チームの人々もささやかな放送権を手に入れられた。
しかし、他のチームのオーナーが「テレビ局から金をもらえば、それで話は終わり」と考えていたのに対し、バーニーだけはもっと先を見ていた。バーニーは、まずF1世界選手権のテレビ放映権をまとめて100万ドル(当時約2億9000万円)で買い取ると、他の9人のチームオーナーに話を持ちかけた。各国のテレビ局とグランプリ主催との交渉は彼が一括してとりまとめ、それぞれが10万ドル(当時約2900万円)を出資して、テレビ放映権収入の10パーセントずつ受け取るという提案だった。ところが、誰ひとりとして、バーニーのオファーを受け入れなかった。10万ドルの投資額は大きすぎると考えたからだ。そして、バーニーは自分自身に100万ドルを払い、放映権収入の全額をその懐に収めることになった……。
バーニーがブラハムを買収したばかりの頃は、まだチームが個別に各国のレース主催者と交渉してスタートマネーを受け取っていた。そして、主催者の払う金額に不満があれば、そのレースには出場せず、同じ週末に別の場所で行われるノンチャンピオンシップレースやF2のレースに出たりしていた(当時は多くのチームがF1以外のカテゴリーにも関わっていた)。毎年1、2戦だけに参加するプライベーターも大勢いたことから、フィールドの陣営はレースごとに異なり、フェラーリでさえ、何か気に入らないことがあればレースを欠場することが年に1、2回はあった。
また、71年のF1カレンダーを見ると、グランプリは年間わずか11戦で、ヨーロッパ以外の地域でのレースは3戦しかなかった。しかも、開幕から7カ月後にはシーズンが終わってしまい、カレンダーにはたとえば、次のレースまで6週間も空くような大きなギャップがいくつもあったのだ。