その後、日本での自動車ショー開催を発起、1954年に当時の自動車会社の間を取り持って「第1回全日本自動車ショウ」(現・東京モーターショー)の推進役を務め、50万人もの観客を動員しました。
(出展 日産自動車)
片山氏が考案した東京モーターショーのシンボルマークは現代に引き継がれています。
1960年に渡米後、67歳まで米国日産で指揮をとった片山氏、現地から日産本社に米国市場にマッチした新しいスポーツカーの開発を根気強く要望。
後の初代「フェアレディZ」のコンセプトをまとめ、その誕生に大きな役割を果たした成果が認められ、1998年に本田宗一郎氏、豊田英二氏、田口玄一氏に次いでエンジニア以外では異例の米国自動車殿堂入りを果たしています。
当時、自動車先進国の米国で、多大な偉業を成し遂げられたのは自動車への強い情熱と長期的な経営視野、豊富な経験、国境を越えて異郷の人々への協力と支援を惜しまなかった事によるものだったようです。
謹んで片山 豊氏のご冥福をお祈りします。
■北米日産自動車 Webサイト
http://nissannews.com/en-US/nissan/usa/releases/nissan-legend-yutaka-katayama-aka-mr-k-dies-at
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