ひと目でわかる「プリンス→日産→インフィニティ」とバッジが変化したスカイラインの歴史

日産の伝統車種といえば、57年13代もの歴史を誇るスカイラインでしょう。

スカイラインにはこだわりが強いユーザーが多く、モデルチェンジの度に「あるべき論争」を巻き起こしてきました。今度の新型でも「日産」ではなく「インフィニティ」にバッチを付け替えたため、大いに話題を呼んでいます。

でも思い起こすと、もともとスカイラインは「プリンス」から発売されたクルマで、ブランドバッチは今回で3つ目なのです。

そこでここでは、スカイラインの波瀾万丈な歴史を、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

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■初代ALSI「プリンス・スカイライン」(1957~1963)

クルマが運転手付きだった時代、プリンス自動車工業が1957年に発売したクルマが「プリンス・スカイライン」でした。ドライバーズカーとしての走りと快適性を目指し、リアサスに日本初ド・ディオンアクスル方式を採用する等、先進技術を多数投入。また直4・1.5Lの4ドアセダンに続き、スタイリッシュな直4・1.9Lの2ドア「スカイラインスポーツ」も登場。スカイラインの長い歴史は、まさにここから始まりました。

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■2代S50「憧れのファミリーセダン」(1963~1968)

2代目は、ファミリー向けにダウンサイジングを敢行。シンプルな箱形デザインを採用し、メンテナンスフリー化を進めました。また2代目ではレースにも参戦。標準仕様の直4・1.5Lではパワーが足りず、ロングノーズに改造してグロリアの直6・2Lを搭載。その結果、一時的でもレーシングカーのポルシェ904を抜き去ったのだから素晴らしい! こうして、プリンス・スカイライン2000GT(GT-B)が誕生したのです。

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■3代目C10「GTの真打ち・ハコスカ」(1968~1972)

スカイラインが「日産」を名乗るのは、3代目の「ハコスカ」から。もっとも開発自体は、プリンス時代にほぼ完了していたそうです。ハコスカの愛称通り、エッジの効いた押しの強い箱型ボディに、直4・1.5&1.8Lの標準ボディと直6・2Lのロングノーズ仕様を設定。個人的にはハコスカこそ、GTエンブレムが一番似合うと思っています。またレーシングエンジンS20をデチューンして搭載した「初代GT-R」が登場しました。

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■4代目C110「ケンメリ・スカイライン」(1972~1977)

4代目は、ハコスカのリアフェンダー「サーフィンライン」を継承すると共に、絶対的なアイデンティティとなるテール丸目4灯を採用。ラグジュアリーなアメリカンデザインで登場。TV-CMの「ケンとメリーのスカイライン」が、アメリカへの憧れとシンクロして大人気を呼びました。ただ当時は、日本車全体が排ガス規制のために、走りが犠牲になった時代。ケンメリGT-Rも排ガス規制に適合できず、短命に終わりました。

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■5代目C210「スカイライン・ジャパン」(1977~1981)

5代目は「日本の風土が生んだ名車」というキャッチコピーで登場。愛称もそのままの「ジャパン」で、サーフィンラインにも思い切りこだわっています。ヘッドライトは、前期型の端正な丸目4灯から後期型の角目2灯へ、大胆なイメージチェンジを展開。更に後期型では、待望のターボ仕様を追加しました。ドッカンターボと言うなかれ。排ガス規制に辟易していたクルマ好きは、ターボパワーを大いに歓迎したのです。

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スカイラインは4世代に渡って、直4と直6エンジンで標準とロングノーズボディを造り分けてきたのですね。造り手の強いこだわりが、ユーザーにもしっかり伝わっていたのだと実感した次第です。さて次回は、6代~10代目の「Rシリーズ」について紹介したいと思います。

(拓波幸としひろ)

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