1980年代終盤に日産車のエクステリア・デザインがそれまでの直線(平面)的なフォルムから豊かでボリューム感の有るフォルムに大きく変化した時期がありました。
例えば1988年に「ART FORCE」のキャッチコピーで登場した「S13型 シルビア」や1989年に登場した「R32型スカイライン」などはその典型と言えるかもしれません。
バランスのとれた造形と張りの有る面構成が放つオーラが当時のクルマ好きを魅了し、また両車共に「走り」の素性が良かったこともあって、その後も長らく愛され続けることに。
その当時、日産車のエクステリア・デザインを現場で指揮していたデザイン・プロデューサーと言えば自動車雑誌などでもお馴染みの前澤義雄氏。
前澤氏は東京芸大 美術学部を卒業後、1965年に当時の日産の前身に当たるプリンス自動車工業に入社。その後日産で数々のヒット作を生み出した後、1992年に退社。翌年にフリーランスの自動車評論家に転身を図っています。
1994年に三栄書房から「新車開発の9000時間」を出版。現在でも自動車雑誌等でデザイン持論を展開するなど活躍中。ちなみに氏がデザイナーとして直接手掛けた代表作に以下のモデルが有ります。
・マキシマ J30型(1988年)
・フェアレディ Z Z32型(1989年)
・プリメーラ P10型(1990年)
・パルサー N14型(1990年)
3代目マキシマ(J30型)は北米向けがメインのモデルですが、大きなボディが鈍重に見えないようにベルトラインを低くしてグラスエリアを拡大。スポーティー感を演出しながらも風格を兼ね備えたデザインに仕上がっています。
4代目フェアレディZ(Z32型)は3代目と比べると、デザインの進化度が歴然。フェンダーやCピラーの滑らかな面構成など絶妙な造形美を誇っており、現在でもさほど古さを感じさせない未来感漂う先進的なモデルでした。
初代プリメーラは引き締まって見える黒やダークグレーM色が当時人気で、外観に派手さは無いものの、非常にシンプルで合理的なデザインが特徴です。日本車で初めてデザインで欧州車に一歩近付いた画期的なモデルでした。
当時のモーターファン別冊「プリメーラのすべて」によると、前澤氏はデザイン開発に当たり、世界市場で通用するデザインを目指していたようで、実際に欧州に滞在して現地の環境に身を置きながら造形を色々と模索したそうです。
「出来るだけ小さな外形の中で最大の居住空間とラッゲージ・スペースを確保しながら、空力を徹底追求した」と当時のインタビューで語っています。デザイン手法も従来と異なり、「カタマリ」の中に部品を配置していくという方法を採用。セダンながらもCD値「0.29」を達成しており、空力向上の為に造形作業ではかなり苦労したと言います。
4代目パルサー(N14型)はプリメーラと同年のデビューだけあって弟分のようなスタイリング。「GTI」やホモロゲ版の「GTI-R」など、パンチの効いた3ドアホットハッチが人気を博しました。
前澤氏の退社後、日産デザインは踊り場を迎えることに。2000年になると日産再構築の為に迎えられたカルロス・ゴーン氏がいすゞから中村史郎氏を抜擢。同氏は日産デザイン本部長に就任後、現在も日産車のデザイン担当役員として指揮をとっています。
近年では「フーガ」や「スカイライン」、「ジューク」など、どちらかと言うと筋肉質なイメージを前面に押し出したデザインが主流となっているのはご存知のとおり。
カーデザインの良し悪しが販売台数に直結するだけに、デザイナーは企業の中でも特に苦労の多い職務。時代の流れと共にデザインに対する価値観も連動して変化する為、如何に数年先のトレンドが読めるかが問われます。
とは言え、前澤氏がかねてから強調するように理論に基づいた「時間的耐久性」が高いデザインは古くても美しいと感じるもの。どの時代にも通用する普遍的なデザイン理論をベースに、如何に時代に沿った「味付け」が出来るかがデザイナーの腕の見せ所と言えそうです。
■デザインへの取り組み(日産Webサイト)
http://www.nissan-global.com/JP/DESIGN/NEWSLETTER/index.html#vol16
【写真ギャラリーをご覧になりたい方はこちら】https://clicccar.com/?p=212109