フェラーリのデザインで知られる、ピニンファリーナグループの名誉会長だった、セルジオ・ピニンファリーナさんが7月2日、トリノの自宅で亡くなられました。妻のジョルジアさん、娘のロレンツァさん(副会長)、息子のパオロさん(代表取締役会長兼CEO)に看取られての最後だったとのことです。享年85歳。
セルジオさんはピニンファリーナの2代目社長で、創業者バティスタ”ピニン”ファリーナさんの会社、カロッツェリア・ピニン・ファリーナを継ぎました。バティスタさんの偉業をより一般化して、世界に広めたのがセルジオさんだったといってもいいでしょう。
ちなみに、もともとこの家の姓はピニンファリーナ家ではなく、ファリーナ家でした。ピニンはバティスタさんの幼少時代の愛称だったのですが、それが創業時の会社の名前に入れられていたのです。
しかし、世界的な偉業が認められ、ファリーナ家はピニンファリーナ姓を名乗ることを許されたのだといいます。
そして、セルジオさんは長男のアンドレアさんに実権を譲りましたが、アンドレアさんは2008年に不慮の交通事故で亡くなってしまいました。
セルジオさんも深い悲しみに包まれたことと思います。
その後、当時ピニンファリーナのプロダクト・デザイン部門であるピニンファリーナ・エクストラ(自動車以外の工業製品のデザインを担当、トリノ・オリンピックのトーチもここでデザイン)の会長であった3男のパオロさんがその後を継ぐことになり現在に至ったものです。
クルマに大きな夢を与えてくれたのがピニンファリーナであり、セルジオさんの尽力は非常に大きなものでした。
クルマの未来の見えにくい現在にあって、非常に悲しい出来事です。深く哀悼の意を表します。
たくさんの夢をありがとうございました。ゆっくりおやすみください。
MATSUNAGA, Hironobu