「先代レガシィベースの一次試作車が取り持つ仲」といったら言い過ぎかな?
2008年4月、トヨタとスバルは共同記者会見を開き、FRスポーツカーを共同開発し2011年に発売する計画を発表しました。
しかしながら、会見以前にスバル開発責任者に任命された増田さんは、商品企画の内容を見て「本当に実現できるのか?」と思ったそうです。
「当初はレガシィやインプレッサの既存パーツを流用して、開発・生産コストを抑える計画だった。しかし最終企画書は、新設計・新開発が目白押しで、新工場建設まで盛り込まれた内容になっていた。」そうです。
ここはトヨタ側が「生粋のスポーツカーだから!」と技術的にこだわり抜いた結果とのこと。もちろんこれには、スバル技術陣も燃えに燃えたと思います。
ただ経営サイドは収益が必須ですから事情が全く異なります。
今回の事業条件は費用折半。それならリスクも折半だから「双方恨みっこ無しのイーブン」と思いきや、さにあらず。
事業条件が折半でも、会社規模が違います。世界最大規模を誇るトヨタからすれば、仮に失敗しても浅い傷で済みます。しかし会社規模が小さいスバルにとっては、まさに一大プロジェクト。しかも開発と生産担当だから、成否は経営に大きく影響するでしょう。
増田さんはスバル経営陣から、「プロジェクトの全権」を委任されていたそうです。
その内容は「全ての事業責任を負うこと!」そして「最悪、撤退もやむなし!」。まさに「背水の陣」の覚悟で挑んでいたのですね。
しかも共同発表から半年後の08年9月には「リーマンショック」、その後は「超円高」が襲いかかり、11年3月には東日本大震災が……。嗜好性が売りのスポーツカーの開発にとって、追い風など何ひとつない最悪の状況でした。
プロジェクト自体も、新工場建設を撤回するとともに、発売時期を延期するなど、極めて厳しい舵取りを強いられました。「BRZの差別化なんてとんでもない。この時代に、新造した量販スポーツカーを送り出せただけでも奇跡に近い!」という増田さんのコメントが、想像を絶する苦難の嵐を物語っていると実感した次第です。
自分は「クルマほど、造り手の魂が宿る商品はない!」と思っています。あらゆる苦難を乗り越えて誕生した86とBRZ。2台の兄弟車に宿る「トヨタとスバルの熱い魂!」が、クルマ好きに新しい世界を切り開いてくれると確信しています。
(スバルの超絶粘り腰に敬礼(・o・)ゞ拓波幸としひろ)