1960年代後半、モータリゼーションの黎明期に2台の小さい国産スポーツカーがデビューしました。
DOHCエンジンが精密機械と評されたオープンカーの「ホンダS800」と、空力と軽量ボディで燃費に優れたタルガトップの「トヨタS800」です。ニックネームがそれぞれ「エスハチ」と「ヨタハチ」ですから、どれだけ愛されていたかが伺えますよね。
でも商売的には厳しかったようで、ファミリーカーが飛ぶように売れる中、ピッコロスポーツの系譜は途絶えてしまいました。それが、突如として90年代前半のバブル期に復活したのです。しかも「軽小・安価・便利」が専売特許の軽自動車規格で!
そうです!黄色ナンバーの「ホンダビート」「スズキカプチーノ」そして「マツダAZ-1」が同時期にデビューしてきたのです!
ホンダビートは「ミッドシップ・2シーターオープンカー」という、極めて贅沢なパッケージングで登場しました。アクティから流用したエンジン等にも専用チューンが施されていたから、ボディからオーディオに至るまでほぼ全てが専用設計だったそうです。サバンナをイメージしたというゼブラ模様のシートと64馬力を絞り出した高回転型NAエンジンが特徴の、いかにもホンダらしいクルマでした。
スズキカプチーノは、最初は東京モーターショーでコンセプトカーとして公開されました。理屈抜きでシビレましたね~。待望の市販型もコンセプトカーそのままのイメージで「DOHCターボ+FR+タルガトップ+フルオープン」という盛り沢山のメカで登場!あまりに小粋で高性能なピッコロスポーツに、心底興奮しました。
マツダAZ-1は、初代NAロードスターを開発した平井さんが、途中から開発を担当したクルマでした。着任早々平井さんは、軽自動車としては「重い・使い難い・コスト高」のガルウイングをやめさせようとして、役員から怒られたと聞き及んでいます。でも「ミッドシップ+DOHCターボ+ガルウイング」はさすがにやり過ぎだったかな。スーパーカーの記号性を軽規格で実現した、夢のようなクルマだったのです。
ただ、バブル期に贅沢な専用設計を施した3台のピッコロスポーツ達は、エスハチ・ヨタハチ同様、残念ながら一代で途絶えてしまいました。
でも「ダイハツコペン」がコンスタントに売れているように、維持費の安い軽規格のオープンスポーツには、市場があると思うのです。東京モーターショーでも、ホンダやダイハツがやる気を見せてくれましたよね。是非とも日本のお家芸たる「ピッコロスポーツ」を復活させて欲しいと思います。