最近の国内選手権レースはスーパーGT以外はちょっと寂しいモータースポーツ事情ですが、15年・25年前はサーキットは観客も沢山入り、非常に盛り上がっていました。F3000(Fニッポンの前に開催されていたカテゴリー)でも観客が3~5万人入っていたのですから。ミリオンカードのCMで鈴鹿サーキットのスタンドが満員でしたね。懐かし~。
で、今回はそんな懐かしくも熱い時代を紹介する2冊です。最初の1冊目は15年前、1996のJGTC(現在のスーパーGT)の開幕戦を紹介した「日本の名レース100選 Vol.63 ’96 鈴鹿GT300km」(¥1000.-)です。
メーカー製とはいえ、チューニング臭のするマシンで争われていたJGTCに、“フルカーボンモノコックの黒船”をプライベートチームが持ち込んだレース…と云うより“騒動と顛末”を当時の監督:郷 和道氏が語ります。プライベーターとはいえ、マクラーレン+LARKに、ドライバーはヨーロッパで実績あるベテラン2人+服部尚樹&ラルフ・シューマッハー!各ワークス(当時はトヨタと日産)は慌てたのが良く判る1冊です。
さて、もう1冊は更に11年遡って、’85年の“8耐=鈴鹿8時間耐久ロードレース”を目指したストーリーを紡いだ1冊「RACERS Vol.9 YAMAHA GENESYS」(¥980.-)です。世に云うYH戦争はサーキットでも戦っていた。’84年、世界GPではやや優位に戦っていたヤマハだったが、4ストロークで戦うTT-F1ではホンダに抑え込まれていました。空冷2バルブのXJ改レーサー(OU28)を水冷5バルブのFZRレーサー(OW74)に進化させた開発ライダー上野真一と「8耐本番」でYAMAHAのNo.1チームを任されたケニーロバーツと平忠彦、そしてTHCH21チームの戦い。
デイトナ、ボルドール、そして“8耐”。メーカの威信を賭けた戦いの熱さが蘇ります。久しぶりにあの暑い鈴鹿8耐に行きたくなる事請け合いです。
(川崎BASE)