日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持っていた塩路(しおじ)一郎氏が2月1日に死去されました。(86歳)
元自動車労連(現日産労連)会長で、1953年に日産自動車に入社後、経理課に配属されるや、反組合派として社内で認知されることに。
当時の第一組合の勢力が衰えると第二組合が結成され、新入社員ながら会計部長の要職に就き、1961年に日産自動車労組組合長、1962年に日産グループの労組で作る自動車労連の会長に就任。
1972年に自動車メーカーの労組で作る自動車総連を結成し、1986年までの長きに渡って会長として君臨。日産自動車の経営にも影響力を発揮、当時は「塩路天皇」とも呼ばれ、高杉良の小説「労働貴族」のモデルにもなったことでも知られています。
日産が後に巨額赤字を抱えることになる「世界進出拡大路線」を推し進める当時の石原社長との対立が絶えず、遂に英国への工場進出を巡って経営陣との関係が険悪化、塩路氏は週刊誌を使ったスキャンダルに巻き込まれ、1986年に辞任に追い込まれることに。
先日、ご紹介したNHKの話題のTVドラマ「メイドイン・ジャパン」の記事でも触れましたが、こうした企業内組織に蔓延る権力闘争や上下関係の確執が日本の優れた技術の発展を阻害した例は多く、日産も最後は外資に頼らなければ再建不能に陥るなど、倒産寸前までに追い込まれた歴史が日本の大企業の「歪み」を如実に物語っています。
そういう意味では塩路氏は自書で綴っているとおり、世間一般に伝えられる既存のイメージとは異なり、会社の経営トップの思惑に翻弄された企業戦士の一人だったのかもしれません。
謹んでご冥福をお祈りします。
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