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■2000GT-Rは207.9万円に対しGT-FOURは297.6万円。WRCで活躍した4WDのGT-FOURも登場
1985(昭和60)年8月20日、トヨタの4代目「セリカ」がデビューしました。セリカは個性的な『流面形』スタイリングを採用し、駆動方式をそれまでのFRからFFに変更しました。
さらに、WRC(世界ラリー選手権)で大活躍したフルタイム4WDの「2000GT-FOUR」も翌年1986年に追加されるなど、大変身を遂げていったのです。
●日本初のスペシャリティカーとして登場した初代セリカ(A20/30型)
1970年、日本初のスペシャルティカーとして「セリカ」がデビューしました。
そのスタイリングは、ジェット機の翼に採用されている層流翼を意識した断面形状をベースに、ロングノーズのピラーレス・ハードトップのクーペスタイルを採用。スポーツカーのようなスタイリングと性能を持ち、快適性も重視した先進のスポーツクーペは、日本初のスペシャリティカーとして多くの若者を魅了したのです。
初代セリカのデビューから2年半経った1973年には、セリカの人気をさらに加速させた「セリカLB」がデビュー。最大の特徴は、なだらかな傾斜を持つ開口可能なテールゲートをヒップアップさせた、ハッチバックスタイルで「リフトバック」と命名したのです。
エンジンは、1.6Lに加えて2.0L直4 SOHCを新設定、特に2.0L直4 DOHCエンジンを搭載したトップグレード「セリカLB 2000GT」は、当時絶大な人気を得ていた「スカイライン2000GT」と真っ向勝負しても負けない圧巻の走りを披露、大ヒットし、1970年代を代表するスポーツクーペとなりました。
●流面形ボディのFFおよび4WDへと変身した4代目(T160型)
初代の大ヒットに続いた2代目(A40/50型)、3代目(A60型)でしたが、初代のような存在感は示せず、1985年に大変身を遂げた4代目セリカが登場します。
注目されたのは、そのスタイリングとメカニズム。スタイリングは、Cd値0.31を実現した流面形ボディ、3面で構成されたスラントノーズ、リトラクタブルヘッドライトなど、斬新なスタイリングを採用。
パワートレインは、1.6L直4 DOHC、1.8L直4 SOHC、および2.0L直4 DOHCの3機種と、5速MTと4速ATの組み合わせが用意されました。
86年10月には、WRC参戦のためのホモロゲーションモデルとなる、セリカ2000GT-FOURを追加。搭載された2.0L直4 DOHCインタークーラー付ターボエンジンは、当時の国産4気筒エンジン最強の最高出力185PS/最大トルク24.5kgmを発揮したのです。車両価格は、トップグレードの2000GT-Rが207.9万円、GT-FOURは297.6万円でした。
●WRCで黄金時代を築いたGT-FOUR
4代目セリカのGT-FOURは、トップカテゴリーがグループAに変更された1987年からWRCに参戦。1988年の初戦で6位入賞を果たすと、1989年にはフル参戦し、9月のラリー・オーストラリアで初優勝を飾ります。
改良が進んだ1990年には4勝を上げ、カルロス・サインツがドライバーズタイトルを手にし、1991年にも6勝を上げますが、シリーズタイトルにはあと一歩届きませんでした。
WRCでは4代目からの実績を積み上げ、5代目セリカGT-FOURで本領を発揮させます。先代よりも40PSほどパワーアップし、日本車初のトルセンLSDを装備した4WDシステムを採用し、1992年から1994年までドライバーズタイトルを3連覇。
1993年には、日本車として初のマニュファクチャラーズタイトルも獲得し、翌1994年もドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの2冠を達成し、WRC黄金時代を築いたのです。
初代セリカが開拓したスペシャリティカーを進化させ、よりスポーティさに磨きをかけたスペシャリティカーへと変身した4代目は、初代のようなちょっとお洒落なクルマではなく、走り好きの若者を魅了したクルマでした。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)