意外と多い兄弟F1ドライバー。シューマッハ兄弟ミハエル&ラルフ、F1カナダGPを制したのは?【今日は何の日?6月10日】

■F1での歴史的な兄弟1-2フィニッシュ、カナダGPで弟ラルフが制する

2001(平成13)年6月10日、F1第8戦カナダGPで兄のミハエル・シューマッハと弟のラルフ・シューマッハの兄弟対決が実現しました。結果は、ラルフが勝利し、ミハエルは2位でフィニッシュしました。

2001年のカナダGPのラルフ・シューマッハ(C)Creative Commons
2001年のカナダGPのラルフ・シューマッハ(C)Creative Commons

●兄ミハエルの後を追ってF1ドライバーとなったラルフ・シューマッハ

兄ミハエル・シューマッハより6歳下のラルフ・シューマッハは、兄同様カートレースやフォーミュラフォードなどで腕を磨き、ドイツF3とマカオGPで活躍を始めます。日本でもキャリアを積み、1996年、21歳の時にはフォーミュラ・ニッポンの初代チャンピオンに輝いています。

1997年、奇しくも兄と同じくジョーダンからF1デビュー。2001年にサンマリノGPで初優勝を果たすと、カナダGPとドイツGPにも勝利して年間3勝を記録します。翌年は1勝、2003年は2勝をあげて2005年からトヨタF1へ移籍。3年間トヨタから参戦しましたが優勝を飾ることはできず、F1で計6度の優勝をもって2007年に引退。「皇帝」と呼ばれた通算91勝、チャンピオン7回の兄ミハエルに比べるとさすがに見劣りしますが、兄弟ドライバーとして多くの話題を提供してくれました。

●カナダGPの兄弟対決は、弟ラルフに軍配

2001年のF1第8戦カナダGPの決勝は、ポールポジションを獲得したフェラーリのミハエル・シューマッハが先行して、ウィリアムズのラルフ・シューマッハが追走する展開でレースは進みました。

ラルフ・シューマッハ (C)Creative Commons
ラルフ・シューマッハ (C)Creative Commons
ミハエル・シューマッハ (C)Creative Commons
ミハエル・シューマッハ (C)Creative Commons

30周を過ぎた頃から、ラルフは先行するミハエルにその差僅か1秒足らずで食らいつきます。スピードに勝るラルフでしたが、ミハエルの巧みなブロックで抜けそうで抜けない状態が続きます。

転機はピットインで起こります。燃費に劣るミハエルのフェラーリが46周目で先にピットイン。その間にラルフはファステストラップをたたき出し、リードタイムを稼ぎます。50周目、ラルフがタイヤ交換と給油を終えてコースに戻った時点で逆転して首位に立ち、そのまま自身2回目の優勝を飾ったのです。F1での歴史的な兄弟1-2フィニッシュが生まれた瞬間でした。

●意外と多い兄弟F1ドライバー

F1ドライバーには、親子、兄弟、従弟、血縁者が多いのは有名ですね。

兄弟ドライバーとしては、先のミハエル&ラルフ・シューマッハ兄弟(ドイツ)の他、ゲイリー&デビッド・ブラバム(オーストラリア)、ジミー&ジャッキー・スチュワート(英国)、テオ&コラード・ファビ(イタリア)、ペドロ&リカルド・ロドリゲス(メキシコ)などです。

日本人では兄弟ドライバーの話題はあまり耳にしませんが、中嶋悟と中嶋一貴など、親子ドライバーは大勢いますね。


表彰台の中央に立った誇らしげなラルフ、一方で2位となったミハエルは、インタビューで「6点取ったし、弟は勝つし、素晴らしい結果だ」と語りました。何と素晴らしい兄弟なのでしょうか(不仲説もありましたが)。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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