上野動物園が開園/姿三四郎のモデル西郷四郎生まれる/スバル初のハイブリッド車「XVハイブリッド」発表!【今日は何の日?3月20日】

■日本初の近代動物園となる上野動物園が開園

1882(明治)年3月20日、日本初の近代動物園として上野動物園が開園。1885年に123種299点だった動物数は、2006年には511種2852点に増えました。日本で最も来場者数が多い動物園で、今年に入ってパンダの双子の赤ちゃん「シャオシャオ」と「レイレイ」が一般公開されて大きな話題になってますね。

3月20日には、ミュージシャンの竹内まりあ、俳優の竹中直人、野球の阿部慎之助、サッカーの川島永嗣とフェルナンド・トーレス、マラソンの君原健二、柔道家の西郷四郎などが生まれています。本日紹介するのは、姿三四郎のモデルとなった西郷四郎です。

●近代柔道の礎を築いた講道館四天王の西郷四郎が誕生

西郷四郎 (C)Creative Commns
西郷四郎 (C)Creative Commns

西郷四郎は、1966(慶応3)年3月20日に会津藩士志田貞二郎の三男として生まれます。一家は戊辰戦争の戦乱を逃れて津川(新潟県)に転居。16歳の時に元会津藩の家老であった西郷頼母の養子となり、西郷の姓を名乗ります。17歳の時に陸軍士官を志して上京しますが、小柄(身長150cm程度)であったため、士官学校を断念しました。その頃、後に「柔道の父」と呼ばれた講道館の嘉納治五郎館長と出会い、講道館に入門します。

講道館では、小兵ながら天性の素質と激しい稽古によって頭角を現し、豪快に相手を投げる独自の技「山嵐」で、柔道界に名を知られるようになります。とりわけ注目されたのは、明治19年に開催された警視庁武術大会でライバルの照島太郎を倒したことで、この名勝負をきっかけに生まれたのが、富田常雄の小説「姿三四郎」です。そう言えば、バルセロナオリンピックで金メダルを取った古賀稔彦さんは、「平成の三四郎」と呼ばれていましたね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●スバル初のハイブリッドモデルのXVハイブリッドを発表!

2013年3月20日、スバルは米国のニューヨーク自動車ショーでスバル初のハイブリッド「XVクロストレックハイブリッド」を発表しました。日本では2代目「スバルXV」の追加モデルとして、「XVハイブリッド」の車名で2013年6月に発売が始まりました。

2013年に発表・発売されたスバル初のハイブリッド・XVハイブリッド)
2013年に発表・発売されたスバル初のハイブリッド・XVハイブリッド)
XVハイブリッドの後ろ外観。インプレッサをSUV化したモデル
XVハイブリッドの後ろ外観。インプレッサをSUV化したモデル

初代XVは、2010年に3代目5ドアの「インプレッサ」をベースに、当時人気が高かったSUV化した派生モデルとして誕生。そのため正式には「インプレッサXV」と名乗り、2代目からはインプレッサが取れて「スバルXV」となりました。

XVハイブリッドのハイブリッドシステムは、スバルが独自に開発したマイルドハイブリッド。10kWの比較的小さなモーターをCVT「リニアトロニック」のプライマリープーリ後方に配置し、エンジン出力をモーターでアシストします。燃費向上よりも、スバルらしく加速レスポンスや出力を高めるハイブリッドです。ただし条件によってはEV走行が可能で、燃費向上も期待できます。

XVハイブリッドの構造。リアにニッケル水素電池を搭載
XVハイブリッドの構造。リアにニッケル水素電池を搭載

XVハイブリッドは、スバル伝統の走りのイメージを損なうことなく、燃費向上も果たしており、スバルの電動化に対する意気込みがうかがえます。ただし独特の構造からなる水平対向エンジンのハイブリッド化には、コスト的には不利であることが予想されます。

現在カーボンニュートラルが世界中で叫ばれている中、走りのスバルがどのように電動化を進めるのか、注目ですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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