3(ミ)3(ミ)で耳の日/電話の発明者グラハム・ベル生まれる/日本の名車スバル360発表!【今日は何の日?3月3日】

■耳に関する知識を深める日!

3月3日と言えば「ひな祭り」ですが、語呂合わせで「耳の日」でもあります。「3という数字が耳の形に似ている」「電話の発明者グラハム・ベルの誕生日が3月3日である」といったことを考えても、まさに耳の日にふさわしいですね。耳の日は、耳の衛生についての知識の普及や聴覚障害の予防、治療の理解を深めるのが目的です。

さて、3月3日に生まれたのは、ゴルフの服部真夕、サッカーのストイコビッチとジーコ、映画監督の大森一樹、タレントの徳光和夫、経済学者の竹中平蔵、物理学者の発明者グラハム・ベルなどです。本日紹介するのは、電話を発明したグラハム・ベルです。

●コミュニケーション方法に革命をもたらした電話の発明者グラハム・ベルが誕生

グラハム・ベル (C)Creative Commons
グラハム・ベル(C)Creative Commons

グラハム・ベルは1847年3月3日、スコットランドのエディンバラで生まれました。父親は大学教授で有名な弁論術の専門家で、聴覚障害者に発音を教える技法や読唇術も研究していました。子供の頃のベルは好奇心旺盛で、モノ作りが大好きな少年でしたが、12歳の時に聴力を失った母親のために手話を習得してサポートするなど、母親想いの子供でもありました。

グラハム・ベル自ら電話機で話す様子 (1876年)(C)Creative Commons
グラハム・ベル自ら電話機で話す様子 (1876年)(C)Creative Commons

ベルも父親の仕事を継いで発声法の研究をしていましたが、1871年にアメリカに移住して1873年にボストン大学の発声生理学の教授になります。そこで機械的に音声を再現することに興味を持ち始め、音の変化を電流にしたりその逆ができれば、電線を通じて会話を伝達できるという電話の原理を考案したのです。その考え方を具現化した電話機の特許を1876年3月7日に取得して、3日後の3月10日には実験に成功しました。歴史を変えた画期的な発明の電話機ですが、150年経った現在、インターネットに飲み込まれた感がありますね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●てんとう虫の愛称で国民的人気となった名車スバル360発表!

1958(昭和33)年3月3日、スバル(当時、富士重工)の歴史的な軽乗用車「スバル360」が発表されました。当時の日本はモータリゼーションの黎明期。クルマは一般庶民にとっては高嶺の花であり、乗用車を所有することは夢のような時代でした。そこで1955年、日本政府は規定の条件を満足するクルマであれば、製造と販売を国が支援するという「国民車構想」を打ち出しました。この自動車普及政策に呼応する形で登場したのが、スバル360でした。

1958年に登場したスバル360
1958年に登場したスバル360
いま見てもなかなかお洒落なスバル360の運転席周り
いま見てもなかなかお洒落なスバル360の運転席周り

スバル360の先進的な設計は、富士重工の前身である中島飛行機出身の百瀬晋六が担当しました。モノコックボディのリアにエンジンを搭載したRR(リアエンジン・リアドライブ)方式を採用、エンジンは空冷2気筒356cで最高速度83km/hを記録しました。その他にも軽量化など、随所に航空機づくりで培った高い技術が盛り込まれました。

スバル360のリアに搭載された空冷2気筒エンジン
スバル360のリアに搭載された空冷2気筒エンジン

優れた性能に加えて、てんとう虫と呼ばれた可愛いスタイルが人気を呼び、スバル360は空前の大ヒットを記録。その後、追随して多くの軽自動車が投入され、スバル360は本格的なモータリゼーションの火付け役という重要な役割を果たしたのです。クルマに興味のない人、名前が思い浮かばない人でも、画像を見ればほとんどの人は見たことある、知っているというのではないでしょうか。日本の自動車史に残る名車のひとつです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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